【スカーレット感想】八郎沼に、落ちていく
沼に落ちそうである。
沼の名は、「八郎沼」という。
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今期の朝ドラ『スカーレット』は、いつもよりも序盤でリタイアした人が多い印象だった。
原因は、おそらくみんな一緒だと思う。
主人公の父・常治の存在だ。
常治は「家族は家長である自分に従うべし」という信条を無意識のうちに持っているザ・昭和の父で、「女に教育は必要ない」という、当時ですら「古い」と言われてしまうような意見(実際、取引先の会社、丸熊陶業の社長に冗談だと思われ笑われている)を声高に唱える男である。
そのくせ、うちには金がない金がないと言いながら、正体をなくすまで酒を飲んではツケにしてくるようなダメ父で、「妻と娘が大好き」という唯一のかわいげすらも、都合のいいときだけ甘えてきているようにしか見えないという、ちょっと救いようのないキャラクター設定をされている。
この常治が、ことごとく主人公・喜美子の人生を振り回してきた。
特に、喜美子が自ら絵付け師になるという道を見つけるまでが地獄で、15歳で信楽から大阪へ出稼ぎに行かされたと思ったら、3年後に家族のピンチだからと無理やり連れ戻される。美術の学校に行こうと貯めていたお金を、借金の返済や家計の足しにしてくれと差し出すシーンでは「ダメだ喜美子おおおお!」とテレビに向かって叫んでしまった。
キツい。
常治マジでキツい。
彼女が自らの人生を切り開こうと努力するたび、その努力を「家族」という武器でこなごなに砕き散らしてくる常治の存在は、賽の河原で石の塔を崩しにかかる鬼に等しい。
努力が徒労へと変わる様が、見ていて本当にしんどい。
喜美子が「これは自分で選んだ道だから」と明るく言うのが救いで、この明るさがなければ、私もとうにギブアップしていたと思う。
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思うに喜美子はこの父親と、父親のことが好きすぎて逆らうとか思い付かない母親に、子ども時代を奪われている。
物語開始時、9歳の頃から、喜美子は日々家の手伝いをし、酔っ払った父親を迎えに行き、家計の心配をしていた。
「友達になってあげてもええよ」と言ってきた照子に「忙しいから友達とかいらない」と言い放った、あれはおそらく半分以上本心ではないか。
物語の中に妹たちが遊ぶシーンはあったが、喜美子が遊ぶシーンは描かれていなかった。
15歳で就職してからは、周囲に「プロの家政婦」として扱われる一方で、家族からは「家計の一端を担う働き手」として期待され、ますます子どもらしい生活から遠退いた。制服を着て高校に通う幼馴染みたちとの対比が、彼女の大人びた佇まいを浮き立たせる。
彼女を取り巻く環境は、彼女が甘えたり、ワガママを言ったりすることを許さなかった。
そして彼女自身もまた、それを当然と受け入れた。
唯一の例外は、川原家を恩人と慕う草間さんである。彼は喜美子と大人に対するような丁寧さと対等さを持って向き合ったが、その実、彼女の良いところを誉め、認め、間違っているときは冷静にしかるという、「本来子どもがされるべき扱い」をしてみせたのだ。
彼と向き合うときの喜美子が、普段より一段階無邪気に見えるのはそのためだろう。似たようなポジションにいたのがちやこさんだが、彼女は家政婦として彼女を頼ってもいたため、喜美子に対して完全な大人にはなりきれていなかった。
しかし、如何せん草間さんは孤高のスナフキンである。ふらりと現れ、ふらりと去っていく。常に喜美子のそばにはいてくれないのだ。
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そんなとき、八郎は現れた。
第一印象は、素朴に演出された外見(HPで確認すると、役者ご本人は洒脱な印象……)も手伝って、大人しそうで地味な男性としか思わなかった。
それが、あれよあれよというまに存在感を増していき、ついには主人公の夫ポジションに王手をかける存在へと成長した。
八郎は、とてもまっすぐに育った人間だ。
両親や兄たちを早くに亡くした苦労はあったろうが、親代わりになってくれたという五番目の姉が、彼をきちんと子どもとして扱ったのであろうという想像ができる。
だからこそ彼は、自分の長所や特技を伸ばし、大学に通うという、ある種の「我」を通すことができたのだ(川原家で言えば百合子にも近いかもしれない)。
そうして大人になった八郎は、冷静沈着な若社長とも、優秀な商品開発室の先輩たちとも上手に付き合い、一方で人見知りの新作の心を開かせ「新作」「ハチ」と呼び合う仲になる。誰からも愛されるのは、彼がすべての人を認め、受け入れる度量を持っているからに他ならない。
他者を受け入れるしなやかさと、自分の芯を守り続ける強さ。彼はその両方を持ち合わせたまま成長した。
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八郎が初めて常治との面会を許された日、彼は喜美子と共に、ひっくり返されそうになったちゃぶ台を押さえた。
それは、事前にそう伝えていたように、「これからは一人で頑張らなくて良い」という、喜美子へのメッセージだ。
喜美子はようやく、彼女が抱えていた荷物を、半分預かってくれる、安心して預けられる相手に出会うことができたのだ。
喜美子は、八郎の前でなら泣ける。泣きながらワガママを言うこともできる。
「自分もコーヒー茶碗を作りたかった」と涙を流したのが、そのことを証明してくれている。
失われた子ども時代を埋めるかのように、彼女をしっかりと包み込んでくれる人。
そんな人が現れてくれて良かったね、喜美ちゃん。
そう声をかけたくなった。
そういえば、彼が喜美子の絵を本心から喜んで受け取り、部屋に飾っている様は、かつて草間さんが彼女の紙芝居を誉め、生きる力をもらったと書き残していった姿と重なる。
喜美子を唯一子どもとして正しく扱った、大人の姿と。
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そんなわけで、八郎は喜美子にとって良き伴侶になるのではないかと思うのだが、私にとっても八郎は、毎朝会うのが楽しみなキャラクターになった。
「キスはいつするんやろ」
「すべてが予定通りなんてつまらん」
惚れて!! まうやろ!!
なんだかもう『半分、青い。』の律(佐藤健)が、主人公・鈴愛に向かって「(一緒に毛布の中に)入る?」と言ったときくらいのときめきがあった。
佐藤健に入るって聞かれたらそりゃ入るだろ!!
沼に落ちそうだ。
沼の名は、「八郎沼」という。
深くて温かくて、もう出られないかもしれない。