「元気」と「やる気」は基本装備、か?
新卒で入った会社は、社員50人ほどの小さな編集プロダクション。そこで私は、
「世にもテンションの高い新人が入ってきた」
と慄かれた。
22歳。
誰にでも「おはようございます!」とハキハキ挨拶して、フロアを繋ぐ階段は駆け上がる。移動の時間がもどかしくて、常に小走りしていた。
元気もやる気も有り余って、空回りも多かった気がする。中学生の時から目標としていた「編集者」にどうにかたどり着いて、さぁここからが本番だと、がむしゃらに働いた。
新卒採用で私を落とした100近くの出版社たちを見返したかったし、そこで働く新人たちに決して引けを取りたくなかった。
呼ばれた飲み会には行ったし、会社外の人脈も作ったし、原稿(最初のキャリアは雑誌の編集記者だったので)は徹夜してでも期限より早めに収めて、「仕事の報酬は仕事」とでもいうように、次の仕事をもらっては「先輩たちに追いついたかも」とほくそ笑んでいた。
「砂東さんはやる気があるから助かる。やる気だけは、こっちで出してあげることはできないからね」
と、当時の上司が言った。
「いつも明るくニコニコしていて、気持ちがいい」
と、厳しいと評判の部長が言った。
しかし私は、ありがとうございます、嬉しいですと答えながら、脳の片隅の冷静なところでこう考えていた。
「やる気と元気で生き残れるのは今だけ」
「若いうちだけ」
「年を取ったときに、やる気と元気以外の武器が身についていなければ、上にはいけない」
それはレベルが低い時にだけ身につけられる、物語序盤にのみ活躍する初心者向けの装備。
スライムには十分でも、オークの前に出たら粉砕される。
およそ十五年がたった。
雑誌編集者から書籍編集者への転身。転職。結婚と出産。記者職への復帰。ジョブローテーション。初めての営業。
業種や職種のチェンジも経験して、今や私もアラフォーワーママ。そんな私の最高の武器は何なのかと問われれば――
やはり「やる気」と「元気」なのだった。
あれれれれ? おっかしーなー? と江戸川コナン的に首を傾げてみる。
もちろん、その二つのほかにも、私が会社や上の人達に買われている部分はきっとあるのであろう。個人面談のときにも、あれやこれやとお褒めを頂く部分がある。
しかし、やはりその褒められた部分を抽出し、よくよく観察してみると、「ようするにそれ、やる気と元気じゃない?」と腑に落ちてしまうのだ。
理由はただ一つで、社会の中で働く、同じ年代くらい〜世代が上の大人たちの中には、「やる気」と「元気」を落としてきてしまった人が結構多いのだ。
おそらくみんなだって、手放したくて手放したわけではないのだと思う。
仕事に慣れれば慣れるほど、一つひとつを「こなす」ようになってきてしまうし、肩書を得たり上に昇ったりして、自分より「下」の人達が増えれば、不機嫌を隠さずに生活することを許されてしまう。
そうして大人はいつの間にか、初心者向けの装備をどこに置いていったのか、わからなくなるのだ。
他の強い武器や鎧があれば、初心者向けの装備はさほどなくても困らないし、どんどん先へ進める。
だけどふと、パーティーが休憩しようと腰を下ろし、皆が重い武器をおろし、鎧を外した時。
その初心者向けの装備はきっと鎧の下にでも重ねて着込めるもので、みんながそれを既になくしてしまったか、まだ大事にしているのかが、はっきりとわかる
ビジネスの場とはいえ、それを行うのは生身の人間であるから、いつもニコニコしている人のほうが話しかけやすいし、話しかけたときにはハキハキ応えてくれたほうが嬉しい。大切な業務は、楽しそうに、熱っぽく仕事をしてくれる人に任せたい。
きっと、みんなそうなんではない?
なぜそれを自分が手放さずにいたかと考えれば、転職や異動が多く「常に新人」の立場を求められたから。そして子どもを二人育てるうち、体力と感情のキャパシティが増えていったからではないかと思う。つまり、偶然のキャリアが生んだラッキーだ。
もし今、社会人になりたての子たちが、自分の装備を確認して、自分にはやる気と元気しかないと落ち込んでいるのならば、それはとても大事なものだから、生涯落とさず持っていてほしいと伝えたい。
仕事をするうちに、とてもじゃないけど元気が出せない日や、やる気を見失う日もあるけれど、そんなときは一度深呼吸して、散歩でもしながら落とした装備を探して歩いてみてほしい。
たくさん探して、あった!と指さし叫んだ頃には、心に漂っていた淀んだ空気も、少しずつきれいになりだしているはずだ。