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悟塔雛樹の!!「つれづれなる松葉ガニ」

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ファミコンと翻訳関係のものを除く、エッセイ一般をこちらにまとめました。表題には深い意味が……ありません。写真と動画もあるよ!
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2024年7月の記事一覧

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「昇龍雲」かなあ?

最近、空がやけに綺麗だ。綺麗すぎて不安が心をよぎるのは、自分だけだろうか?

体癖9種の人は、物事をやり遂げるのが苦手らしい。自分もスラスラこなせたことが、残り2%でそれまで以上に苦労することがよくある。『未完の天才 南方熊楠』という本があるが、熊楠もそう言えば9種らしい。だから、やり遂げるのが嫌いだったのかも?「熊楠が未完なのは、9種だから」説に一票。

飲料に含まれているのが細菌なので、誰しもスルーしているのである。万が一シメジやタコ、ウナギ、妖怪のフィギュアなどがそれぞれ「生きたまま腸に届く」という文句とともに売られていたら、誰も買わないのではあるまいか。イメージは大切だなあ。

あるベテラン教授のこと

30年近くも前のことなので、少し書いてみようと思う。筆者は、とある私立大学をなんとか卒業したところであった。それ自体は悪いことではない。だが筆者はウツや不安が強く、到底「就職どころではない」状態だった。ただ当時、そういう主張は周囲にまったく受け入れられない。仕方なく自分は大学に居座って講義を受け、知識欲だけでも慰めることにした。私と外界をつなぐルートは、当時それぐらいしかなかったのである。 そんな折、新しくよその大学から、あるベテランの教授が来られることになった。有名な方だ

「タカ VS ヘビ」の話を分析する

はじめに 『古今著聞集』というマイナーな日本の古典に、「タカ(熊鷹)がヘビ(大蛇)を退治する」というだけの話がある。それ以外、特に何も語っていない。日本の古典のなかにはこうした、「タカのヘビ退治」というパターンがしばしば見られるという。インターネットには、これが何かを表す記号ではないかとの意見もある。筆者はこの対立の構図が、あるストーリーの反復ではないかと考えて本稿を示す次第である。 第1の連想 まず連想したのは、『日本書紀』における神武東征のワンシーンである。神武天皇

以前「自分の話が伝わらない原因の一つは映像思考だ」と書いた。最近、百均で買える折りたたみのホワイトボードを持ち歩いているが、図を書くと全然違う。初めてじっくり話した人にも「とても分かりやすかった。ただ図が無ければ無理だったと思う」と言われた。紙を使うよりエコで経済的、試してみて。

反復強迫の心理というのは、人が自分の行いに責任を取りたくない場合にも生じるのかもしれない。逆に言うと、自分の行いに責任を取る覚悟が自然にあれば、さほど反復強迫に苦しまないものなのかもしれない。

絶叫マシンが大の苦手だが、小学生のとき両親に無理やり乗せられて酷い目に遭った。「絶対乗らない」と約束していたのに直前で騙され、二人に挟まれた一番怖い席に。いま思えばこういうイジメにも理由があったわけだが、子供によってはショック死する。こういう「責任問える系」は珍しかったけど。

放送大学の「フィールドワークと民族誌」という、文化人類学の講義を視聴している。それまで学んできた深層心理学、臨床心理学と通底するものを強く感じるが、逆に言えばそれらを学んでいなければ今の講義もピンと来なかったと思う。文系の学問ならではの意義深さを痛感させられているところだ。

素人考え。西洋に美学(芸術哲学)というのがあるが、これは意識的でロジカルなものであろう。実存主義をベースとすることがあるのもわかる。だが日本での美とは、花鳥風月など母なる自然の賛美中心で、無意識的・非ロジカルでは。日本は西洋の美学も輸入するが、美学と哲学が分離する理由かと思う。