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自販機が新500円玉を受けつけないと、普通に困る。使えない硬貨を流通させちゃダメだろう。自販機メーカーが悪いのか、はたまたキャッシュレス推進政策の一環か。話は変わるが、「だし」専門の自販機もビックリする。砂漠で見つけたら、使えるコインがあっても絶望する。どうしてくれるんだ。
最近、自分の関心が地理や歴史、政治学にまで及んできたことにビックリしている。もともと内面の不適応から、スピリチュアル関係に興味を抱いた人間だから。だがそこから発展して、かなり現実的な問題も含むことに。いろいろ繋がるもんだなあ。
ある掃除機は高い吸引力を誇っている。それは良いが、よく壊れるそうな。壊れたら、吸引力ゼロでは? まあ使ったことないけど。
筆者がドラクエシリーズのラスボスであれば、まず宿屋を潰すと思う。あそこで勇者一行が回復しているのは、悪役側には致命的ではないか。シリーズ何作もあるのに、ボスがそのことを毎回一切認識していないというのは、いかがなものかと思う。まあそんなことしたらゲームにならないけど。
格闘ゲームのエッチな格好には、元来の起源があったと考えられる。力で劣る分、男性の注意を逸らす闘い方だ。昔の小説(小説版『蛇鶴八拳』)にそうした描写があったし、ある中国拳法(「長拳」だと思う)に対し、女性の姿態を見せ物にしているとの批判が戦後に見られている。同じ理由なら辻褄が合う。
Q:「なぜ山を登るのか?」 A:「そこに山があるからだ」……カッコいい答えだとされているが、なんの答えにもなってなくないか。案外テキトーに言ったら感心されたのでは。「よくわからん」という答えと、ほとんど変わらないと思うのだが。まあこんなことばっかり考えるから、夜眠れないんだけど。
三島由紀夫に関して思うこと。人に期待をかけるのは相手の人生のハードルを引き上げる行為であり、彼は周囲から最大限にハードルを上げられてしまったのではないか。なまじ優秀だっただけに期待に応えてしまい、苦しかっただろう。人間は、他者の期待に応えるため生きているのではないのだ。
稀ではあるが、ズボンのチャックが開いていて恥ずかしい思いをすることが。電子レンジみたいに、音で知らせてくれないものだろうか。後退する時に「バックします」と声が出るトラックみたいに、「チャック開いてます」と教えてくれるズボンが開発されることを切に願う。
苦境を何とかするには誰かを責めるのではなく、究極的には自分を変えるしかない。だが自分が原因ではないことで不必要に自分を責めてしまうことも、自分の変容の大きな妨げになる。だからこそ「自分の身に何が起きたか」を、できる限り客観的に把握する必要がある。把握は何とか意識的にできるからだ。
人類学の山口昌男によると、「シベリアのシャーマニズムでは、青年が幻覚状態の中で精霊によりバラバラにされる。それから生の世界に戻ってシャーマンになる」とのこと(『学問の春』)。まるで積極的分離(正の崩壊)理論を描写しているかのようだ。