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「諸刃の剣」は「もろはのつるぎ」と読むが、最近まで「もろ『ば』のつるぎ」だとカン違いしていた。なんでだろうと思ったら、ドラクエの一部でこういう表記になっていたことに影響されてたらしい。でも当時ドラクエがなかったら、「諸刃の剣」という表現すら知らなかったかも?まさに諸刃の剣ですね。
カービィは可愛い。もし出会ったら、近づいて撫でたくなると思う。だが距離に反比例して、こちらが吸い込まれるリスクも高まるのである。迂闊に近づけないもどかしさ。何とも罪なキャラクターである。
「ドラクエ3」の、遊び人をレベル20まで育てると賢者に転職できるという設定は、「トリックスターが文化英雄になる場合がある」という神話描写をなぞっていると思われる。さすが堀井雄二さんだなあ。遊び人はレベル20まで苦労するが、トリックスターの苦難の描写はスサノオ神話などに顕著。
むかしゲームボーイのRPG、「桃太郎伝説」をプレイした時に思ったが、3匹のお供があまり役に立たない。ご主人様が敵と戦っているのに、ほぼ指をくわえて傍観である。きびだんごのみならず、エサなども支給されているだろうに給料ドロボウ。戦いに参加したらまあまあ強いので、余計ビックリである。
ファミコンに、某チョコボールのキャラクターをフィーチャーした「キョロちゃんランド」という怪作がある。未プレイだが、子供さんが泣き出しそうな作品とのこと。「金のエンゼル」の賞品がコレになったらどうしようなどと考えると、おちおちクチバシを開けられない今日この頃。YouTube検索を。
いまさら核心を突いても、ネタバレにも興ざめにもならないだろう。ファミコンの「たけしの挑戦状」は、そもそも「社会的成功を目指す虚しさ」をテーマにしている。つまり、当時から「鬼難易度クソゲー」なのは社会の方なのである。だからクリアしても「こんなバカバカしいことに〜」と言われるのだ。
ファミコン世代にとってAIといえば、「クリフトのザラキ」である。ボスへの無力に往生させられた刷り込みは結構大きくて、AI開発に歯止めがかかったのではないか。ただアレがなければとっくにシンギュラリティが来て、失業者が大量に出ていたかもしれない。クリフト、そしてザラキ様々である。