義務教育って何で生まれたの?

今日は日本の義務教育の歴史について書いていきたいと思います。
そもそも義務教育ができた背景ですが、農業というのが大きく関わっています。
この世界で社会を構成するものは3つあります。文化・政治・経済の3つ。構成する流れの本質は文化→政治→経済というような流れなのですが、現代社会では逆流している傾向にあります。経済至上主義で経済界が政治を引っ張り、文化を作っていくという反対の流れになっています。
ただ、本質を見ると面白いことがわかります。文化は英語でculture、この語源はcultivateの「耕す」というもの。文化というのは耕すことでできてきた、つまり農耕というのが1つの文化の始まりだったわけです。人々が農耕をすることで生活スタイルの変化が訪れます。それは定住ということ。だからこそ田舎は土地への愛着も強いし、僕も田んぼや畑をやりはじめて「腰を据える」という生き方が理解できました。そして農作業を通じて蓄財をするようになりました。今でも田舎にいくと蔵がある家も多く、そこに食材などを備蓄しています。
この「農耕→定住→蓄財」がまさに「文化→政治→経済」の流れということなのです。

そこで今日の本題ですが義務教育ができた背景にはこの「農業」というのが外せないキーワードなのです。
農作物を育てるのに土のことを調べたり太陽のこと、水のことを調べるために学んだのが「理科」。理科はそもそも「自然の理」を学ぶ科目だからです。
今までは口頭のみで伝達手段が行われていたけれども「この土地は誰のもの」や「この野菜はこうやって育てるもの」など、子孫に伝える手段として学んだのが「国語」。
上記の「この土地は誰のもの」などの一定のルールを作るために学んだのが「社会」。
そして、たくさんの作物を分けたりするのに学んだのが「算数」。
これら、義務教育で学ぶ主要4科目というのは「農業」から派生した学びなのです。他にも、ものづくりを学ぶ「図工」や作った食材を調理する「家庭科」などもそうです。

ただ、僕はここに「音楽」を学びとして取り入れたのは面白いと思っています。ある意味「生きていく中での学び」を考えたときに「音楽」は「なくてもいい」ものですからね。
もしかしたら人は田んぼや畑で歌ったり踊ったりすることでクリエイティブに生きていくヒントが隠されているのかも知れません。

実際僕は農作業は大勢で行っても一人で行っても「楽しい」ものでした。大勢で行うことはイメージしやすいと思いますが、一人ででも楽しいのは思いっきり大声で歌ったり踊ったりしても誰にも迷惑かけないし瞑想のように静かにしていても気持ちがいい。インスピレーションが湧くというのもこういった自然環境の中で生きているとなおさら実感できます。

今は学びと暮らしが乖離しているため学校がつまらないものになっているのです。
「生きていくのに何のためにこの勉強が必要なの?!」
僕も昔からこの想いは持っていました。「暮らしの中に学びがある」と実感できたときに初めて知識欲がでてくるのであって、それを紐付ける行動は農業にあったのです。

だからこそ、この「耕す」という視点に立って学びを深めていくことをやっていきましょう。

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