精子、つまり生と死について

地元で小学生が飛び降り自殺をしたらしい。
小学生が、だ。

少女は何故死を選んだのか

学校で上手くいかなかったから
先生に怒られたから
家族と上手くいっていなかったから


あらゆる場面で、或いは漠然と常に希死念慮を帯びている状態であったと想定する。

彼女が生き続けていれば、生きたいと思える瞬間があっただろうか?

バンジージャンプを飛ぶ瞬間
余命を宣告された瞬間
ヒヤリハットに遭遇した瞬間
生きたいと思っただろうか?

私は生きたいと思えるのは束の間だと考える。
常に希死念慮を抱えていると言いながらある瞬間には生きたいと思っている。
希死念慮を抱える人間がシートベルトをつけるように、横断歩道のない道路を横断する際、車が来ていないか確認するように。

人はどこか一瞬の間に生を望む。その瞬間を額縁に飾ってそっとしまっておけば良いのだ。彼女はまだ若く、その瞬間を見つけていなかったのかもしれない。

また、人はどこか一瞬の間に死を望む。漫然とではなくそれが一瞬になった時、人は死を選んでしまうのかもしれない。

重ねて言うが、皆さんにはしまっておいた額縁を取り出して生きていてよかった瞬間を思い出しながら生き続けてもらいたい。

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