先生、私の精神科医の先生。 もしも私を特定してこのnoteに辿り着いたのなら(なくはない話だと思っています。ニコ生配信をしていることを告げているので)本心を話します。心理検査の結果通り、私は対話がゆっくりで考えたことを話す行為が苦手な傾向にあります。それが他の患者の診療の妨げになることを気にしています。ですが文章なら私の得意分野です。だから一筆取ろうと思いました。 先生、私ねヒポコンデリーなんです。この言葉がそのままヒポコンデリーであることの裏付けになるでしょう。そう診断し
私は統計学者ではないのではっきりと統計をとったわけではないが、虐待率という物騒なパーセンテージを立てるとして、富裕層と貧困層とでは、貧困層の方がそれは、はるかに高いと思う。 "お金がないと人は余裕がなくなるから"という使い回されている文句が言い得て妙だろう。 学校教育で体罰を受けてきた彼ら彼女らは、教育=体罰という観念から我が子へ虐待をするのではなかろうか? そう考えるとわからなくもないのではないだろうか?(肯定しているわけではない) 子供は子供ながらに他人(他所のお家)
地元で小学生が飛び降り自殺をしたらしい。 小学生が、だ。 少女は何故死を選んだのか 学校で上手くいかなかったから 先生に怒られたから 家族と上手くいっていなかったから あらゆる場面で、或いは漠然と常に希死念慮を帯びている状態であったと想定する。 彼女が生き続けていれば、生きたいと思える瞬間があっただろうか? バンジージャンプを飛ぶ瞬間 余命を宣告された瞬間 ヒヤリハットに遭遇した瞬間 生きたいと思っただろうか? 私は生きたいと思えるのは束の間だと考える。 常に希死
不幸な人間の上に幸福な人間がいるんでなくして、 幸福な人間の下に不幸な人間がいるんです ところが! 頭の良い人間の下に頭の悪い人間がいるんでなくして、 頭の悪い人間の上に頭の良い人間がいるんです しかし時に、精神病棟へいるとそのヒエラルキーを痛感するもので 何が面白いのかさっぱりわからないけど笑い続ける男女 部屋をノックし続ける婆さん 性格の悪そうな、でも仕事の出来る看護師、出来ない看護師 そして私。 各々ここに来た訳があるんでしょうが、それを知るのはもっと先になるでし
拝啓 女フォロワーである君に対して少なくも多くもない手紙を、一方通行であるこの手紙とも呼べない片想いの記しを送ろうと思う。 どうして時折Twitterから姿を消すのかってことだけど、考えられる原因はたくさんあって 例えば、精神病棟に入院していて通信手段を取り上げられている 例えば、充実した日常を過ごしておりTwitterなんかに来る必要が無い 例えば、もうこの世にはいない 等、例えばを考えてもキリがないわけです 蓋を開けてみなければわからないし、上記のどの可能性だって十分
何もいいことがありゃーせん ありゃー死にたいなこらまた ぐぬをーーーーーッ! 気合いを入れなければなりませんね ワテクシ希死念慮が歩いているような人間で 10代で死ねなかった方の人間であります ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」
モラトリアムの闇1 高校一年生の頃だったろうか、友達も恋人もロクに出来ず休み時間は机に突っ伏して過ごすか、便所に行くか、空腹の為におにぎりを食べるかをしていたといっても一日に何度もある休み時間なので、一人で廊下をフラフラ歩いていることが多かった。 そのうちに、毎度廊下で出くわす男がいた。そしていつも目を合わせながらすれ違うのだった。自意識過剰な私は『彼は私のことを“気にかけてやらんでもない女”くらいには思っている』と勘違いをしていたと思う。数ヶ月後ふと廊下に出ると見かけるこ