看護師免許は人生快適パスポート
初めまして。看護師としてふらふらと働いておりますMaiです。
私は昔から勉強は得意なほうではなく、Fラン大卒です。だけど、看護師免許という最強の国家資格を手に入れたことで人生の選択肢が増えました。一生食いっぱぐれることなく、全国どこでも働く場所を選べる。看護師免許は人生快適パスポートです。
このnoteでは、
離島ナース
応援ナース
養護教諭免許1種修得
留学、ワーキングホリデー
国内、国外旅行
などをゆる~く綴っていきます。
今まで新しいことに挑戦するとき、ブログのリアルな体験を参考にしてきました。そして、いつも知らない誰かに背中を押してもらっていました。
次は私の経験が誰かの背中を押せればいいなぁと思ってnoteを始めてみることにします。
最初の記事は自己紹介と新卒から7年間働いた大好きな職場を辞めるまでをお話ししていきます。
自己紹介
関東圏に住む30歳。看護師8年目。座右の銘は「死ぬこと以外かすり傷」
昨年小学校の同級生と結婚し、2人で仲良く暮らしています。
2024年秋に夫婦でアイルランド留学目指し中。
なぜ看護師を目指したのか
8つ上の姉も看護師をやっていまして。私が高校生のとき「Maiは勉強できないんだし目標もなく私立の大学行くのは本当にお金の無駄。行くなら資格とりな」と言われました。
当時は〝ふ~ん〟くらいにしか思ってなかったけど、今思えばかなり的確なアドバイスだったなぁ。笑
そんなアドバイスを受けつつ、進路を決め始める高校2年生の終わりに東日本大震災がありました。テレビに映る看護師たちがかっこよくて。人が本当に困っているときに助けられる人間になりたいと思い、看護大学に進学を決意。
三次救急病院に勤めた7年間
憧れの病院に就職し、循環器一般病棟で働いたあとCCUへ異動。
急性期ならではのやりがいはもちろんありましたが、その中で自分の意志ではない入院・治療が行われ、「もういいよ、このまま死んでもいい。」と何度も訴える高齢者の看護をするのに疑問を持つようになりました。医療設備が整ってるが故に体のありとあらゆる箇所に管を入れ、それを抜かれては困るので身動きが取れないよう医療者は抑制をする。これは誰のための医療なのだろうか。 これだったら限られた医療資源の中、最期を安らかに過ごしたほうがいいのではないのか。こうして〝離島医療に携わってみた〟と思って20代最後の年に退職を決意しました。
次は離島ナースとして奄美大島で過ごした半年間を記事にします!!
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