青春が終わる。人生はつづく。「コントが始まる」
菅田将暉の「コントー!」の言い方が腹立つといい、途中で視聴切りした友人がいるけど、もったいないことをしたと思う。
売れない芸人をあつかったドラマ
芸人をあつかったフィクションは難しい。劇中のコントがウケていても、視聴者的にはあまり面白くなかったりとズレが出るからだ。このドラマでは劇中のお笑いトリオ「マクベス」のコントがオープニングで流れる。コントにはわざと笑い声をかぶせないようのしている。ウケてるかウケてないかは視聴者的にはあまり重要ではない。コントの内容がドラマの内容にわずかにリンクしているのだ。
ただ、毎回オープニングにコントを流す手法はよくなかったと思う。たまたまテレビをつけた人はつまんないコントやってるなとチャンネルを変える可能性があるし、そもそもコントとドラマをリンクさせる必要性もなかった。ドラマとして夢を追う若者たちをきっちり描けていたからだ。
30才手前の夢追い人
高校の同級生同士がお笑いを始め、結成して10年が経ち、30才を目前にして、夢を追い続けるべきか迷い始めていく‥‥。
昔のドラマや漫画だと、キングオブコント的なコンテストに出て、奇跡の優勝を果たし、成功をおさめるところでドラマは着地するだろう。
だけどみんなが奇跡を起こせるわけではない。それだと大多数の夢追い人たちのドラマにならない。夢を追っている姿を見るのはウキウキするけど、夢をあきらめる姿はみんな見たくない。
このドラマは夢をあきらめて別の現実にむかっていく姿を丁寧に描いていました。
それでもドラマ序盤では
トリオは解散するのか継続するのかが、視聴するうえでのフックとなっていた。
が、中盤で、結成のきっかけとなった高校の先生にお笑いを続けるべきか相談するのだが、この先生さらっと「やめたほうがいいと思うぞ」
やめたほうがいい理由について、つっこむと
「いままでの10年より、これからの10年は重みがまるで違う」
新生活へのスタート
解散ライブの日時が決まる。
お笑いトリオ「マクベス」と、ファンの姉妹は再起にむけて動き出す。
家業を継ぐために動くもの、再就職にむけて動き出すもの、物語の流れは終息にむかっていて、マクベス解散を撤回する流れは絶対にないよなと淋しい気持ちで見守ってました。
火花との違い
同じ芸人ものとして「火花」と比べると、火花のほうが殺伐としていた。あっちは地方から状況した者たちがメインだったので、親世代の人たちも出なかったし、先輩の彼女なんかは風俗で働いてたりと闇が深かったです。
マクベスの3人は芸人としてのカリスマ性はいまいちだけど、そこらの気のいい兄ちゃん的なノリがあって親しみがもてました。
ネタを書いている春斗だけ
彼女がいないのが気になりました。潤平は高校時代からつきあっている彼女がいるし、瞬太はファンの妹とつきあうことに。
解散後、潤平は家業の酒屋を継ぎ、瞬太は旅に出ると次にやることが決まっているのに春斗だけ先の予定が未定。
一番、真剣にお笑いにむきあっていたのが春斗で、他の二人ほど気持ちの切り替えができないのだろうなと思いました。
男女としてくっつかない二人
夜の公園、ベンチに座りビールを飲みながら話す春斗とコアなファンの里穂子。
里穂子はマクベスにたいしての、思いの丈をぶちまけるのだが‥‥。
このシーンなんて、そこらの愛の告白よりもよっぽど重みのある感謝の言葉でした。
隣のベンチに座り、敬語で話す距離感。男女仲には進展しないけど、たがいに敬意をはらっている二人。敬意をはらいあってるからこそ、安易にくっついたりしないのかと思いました。
おたがい尊敬しあってるんだから、つきあっちゃえばいいのに、と思っちゃいますけどね。
人生はつづく。
実際はフェードアウト的な解散をしてしまう人たちのほうが多いんでしょうけど、長い祭りが終わったような淋しい余韻と、ほんのり優しい気分を引きずっています。
まぁ、きれいごとじゃないけど、彼らのやってきたことは無駄じゃなかったし、負けでも失敗したわけでもないよと言ってやりたくなります。
いや、本当に。素直な気持ちで。