見出し画像

短編小説「ボトルアクアリウム・ブルー」

飼い犬のポックンが余命宣告をうけた。獣医師からは真顔で「もって三か月というところですね」と言われてしまった。悪性リンパ腫の場合は三か月、とマニュアルで決められているかのように、きっぱりと断言されてしまった。

妻と離婚して以来、独り身となった俺の部屋に訪問介護と称し、月一ペースで遊びに来てくれる友人がいる。友人の名は宮本。その宮本もコロナの第六波がおとずれ、ここ三か月ほどうちに遊びに来なくなった。

犬の病状の悪化をわざわざ知らせるべきなのだろうか? いたずらに宮本を落ち込ませるだけなのではないだろうか? だけど次に宮本がうちに来たとき、どうする?

「今日は静かやけど、ポックンどうしたん?」

「え? 先月、死んだで」

「なんで、そのとき言うてくれへんねん!」

と怒られてしまうだろう。

数少ないポックンの知り合い。迷いながらも俺は宮本に電話をかけた。こういう大事なことはメールではなく肉声だ。明るいトーン、暗めのトーン、普通のトーン、どの声色でいくか迷ったすえ、やや低めのトーンでいくのがマナー的に正解だろう。

「そうか、十歳越えなら本人も満足だろう。少し短い犬生かもしれないが、幸せだったろうと思うよ」

電話での宮本は悲嘆にくれるわけでもなく、茶化すわけでもなく、事実を淡々と受け入れてくれた。

「都内の感染者数がせめて五千人を切ってくれれば、俺もポックンに会いに行くよ」

「いや、気を遣わんでもええよ。いちおうポックンもあなたが来たら喜んでいたから、知らせないとと思っただけで」

「……こんなことを聞くのもなんだが、谷崎さんは毎日、涙に明け暮れていない?」

水臭いと思われるかもだが、余命宣告を受けてこのかた、俺は泣いていなかった。黒い吐しゃ物や便を出したものの、薬が効いていて、普段通りに見えるからだ。

数年前、宮本の愛猫が病気になったときは強制給餌や皮下点滴が必要なほどに重い状況で、毎日のように彼は泣いていたらしい。ペットロスを長く引きずり、家族と相談した結果、ふたたび保護猫を迎え入れることになり、悲しみは幾分和らいだらしい。

「まだ元気だから実感がないのかもね。ポックンが亡くなったら、さすがの君でも泣くと思うわ」

「さすがの俺でも泣くのかね?」

「あぁ、せっかくペット可賃貸に住んでいるのだから、また生き物を飼うと思うよ」

たしかにポックンがいなければ、今の物件に住む必要もない。その場合、引っ越しを考えるか、また新しく生き物を飼うかもしれない。だけどそれは即決ではなく、しばらくは保留期間として旅行などを楽しみたいと思っていた。しばらくのあいだは。

「なぁ、ちなみに宮本さんは新しく猫を飼うまでに、空白のスパンがどれくらいあったんだ?」

「九か月」

「思ったより長いな。生き物を飼うことへの葛藤はあったの?」

「まぁ、いろいろとな、まだ電話はオーケー?」

そう前置くと、宮本は語りだした。

     ※

愛猫のミミちゃんを失い、宮本の心に空洞ができた。その隙間を埋めるために、なにかが必要だった。

彼にとってのそれは、仕事に明け暮れることでもなく、やけ食いでもなく、ジムで体を虐めることでもなかった。数少ない趣味ともいえるテレビゲームをやる気にはなれなかった。

「そのときの自分が欲したものは、カタチあるものだったのです」

いままで見向きもしなかったカタチあるものに、宮本は興味をいだくようになった。動物の図鑑を借りてきて名前を覚えたり、焼き物や盆栽の本などを借りてくるようになった。

これは素敵だ、これも素敵だ、と脳内で妄想するだけで飽き足らず、実際になにか素敵なものを部屋においておきたい。愛猫の居場所が家中にぽっかりと空いたままで、そこをなにかで埋める必要があったわけだ。

手始めに宮本はナノブロックを組み立ててみた。手のひらサイズのパンダやインコを見て、サイズ的に物足りなさを感じ、次はガンダムのプラモを組み立ててみた。ただ組み立てるだけでなく、ラッカーを吹き付けたり、陰影のできる部分を油性マジックで黒く塗ったりしてみた。ちょっとひと手間くわえたプラモはそれなりに満足のいくしあがりになったが、すぐに飽きてしまった。

やはり、無機物だと物足りない。ガンプラが動き出したら楽しげだけど、そんなのポルターガイスト現象にすぎないし、やはり生き物がいい。淋しい。

そして宮本は近所のホームセンターに行くたびに、ハムスターやトカゲ、ザリガニのコーナーで油を売るようになった。こいつら寿命的にすぐ死ぬかもだけど、猫に比べると存在感が薄いから死んだときのダメージが少ないはず……だ、なんて理由で生き物を飼うのはダメだろう! 絶対! そんな中途半端な気持ちだと途中で飽きて飼育放棄してしまいそうだ。

生き物を単独で飼うから重たいんだ。そんな理由からか宮本は熱帯魚の類にも心惹かれはじめた。最近ではメダカの品種が増えていて流行っているし、真冬や真夏でも死ににくいうえに繁殖もする。

それでもなお、生体に手を出しづらかった宮本に妥協案が出た。それがボトルアクアリウムである。

本格的に熱帯魚を始めようとすると、いろいろとお金がかかる。水槽に、それを置く台、とスペース。濾過機に照明、ヒーター、その他もろもろ。すぐに飽きるかもしれない趣味にお金を使いたくないし、魚たちが全滅すると精神的にも滅入る。その点、ボトルアクアリウムなら簡単だ。適当なボトルを買ってきて、水草を入れときゃあ、それっぽい感じになる。それにもし熱帯魚が欲しくなったら水草がなじんだ頃にその中に入れてやればいい。

ボトルそのものの美しさにこだわってもよいものの、宮本が向かったのはお洒落な雑貨屋やアンティークショップなどではなく、家族の否定的な視線をはねのけ、ダイソーだった。彼はそこで二百円の保存容器を購入した。

ボトルには違いないが、なにか……違うような気がする。家族は「こういうところでお金を惜しんじゃだめだよ」と宮本を諭したが「百均なのに二百円もした高価な買い物だぜ」と彼は開き直った。

表面よりも中身だ。中身を入れると、それっぽくはなるはず。

アクアリウムショップで買ったソイルとよばれる底土を敷き、マンションの駐輪場で拾った大きめの石を二つほどおいた。レイアウトと呼べる代物ではないが、形が崩れないようにゆっくりと水道水を入れ、一週間ほど放置する。

リビングテーブルの真ん中に得体のしれないボトルをおかれ、家族は眉をひそめたが、宮本はペットロスの最中。入浴時に亡き猫の名前を連呼する精神状態なので、家族たちも遠慮してくれたのかもしれない。

そして水道水の塩素がぬけたころに水草を投入。宮本が選んだのは初心者向けのアナカリスという水草で、金魚やメダカとの相性がいいらしい。ゆくゆくは生体を飼いたいという野心が残っていたのだ。

知り合いで詳しい人もいないし、アクアリウムショップの店員には恥ずかしくて聞けない(魚メインで扱っているのに、脇役の水草の質問って。ぷ)ただ、気が向いたときにベランダや窓際において日光浴をさせ、夜はテーブルの真ん中におく。

アナカリスはゆらゆらと揺れているだけ。ボトルアクアリウム……これで、あっているんだよな? ときおりソイルから根が抜け、斜めになって揺らいでいるのをシザーハンズのような長いピンセットで元にもどすのが面倒くさかった。なにしろ水の中は一種の無重力状態で、そりゃあしょっちゅうぬけたらしい。

ある日、ボトルの壁面をなにかが這っているのを宮本は発見した。それは小さな巻貝で、タニシの仲間かなにかなのだろう。動かない水草に比べ、みずからの意思で動くことのできる存在『動物』の登場は家族たちを興奮させたのだ。

「ねぇ、こいつに名前をつけてやろうよ」「タニシだからタニちゃんってのはどうかな?」

「タニって名字やろ? よそよそしい。下の名前でつけてやろうぜ」「タニシ……タニ……トニーなんてどうだろう?」「お、外国人っぽい」「女子でもいける名前だから、いいね、トニー」

そんなやりとりがなされ、トニーは歓迎された。トニー! 我が家へようこそ!

トニーの命名を転機に水草の鑑賞というより、トニーを見ることがメインになってしまった。トニーはボトルの壁面にいないときはアナカリスの茎をもぞもぞと這っていることが多かった。メダカや金魚と同じように、トニーにとってもアナカリスの森は楽園なのだ。

だが、なにかおかしい。日航が足りないせいかアナカリスの色素がぬけて弱弱しくなっている。問題は色素だけでなく、全体的にやせ細っているように見えた。

まさか……ね……。

さらに放置すること一週間、水草というよりはもはや、背骨のような柱が隆起していて心和む要素はなかった。気のせいだとは思うが、水も心なしか茶褐色のフィルターをかぶせたように見えるし。なに、このディストピア感。ハヤカワSF文庫の表紙みたいになっているじゃないか。そんな荒野にただ一人、マッドマックスのように君臨するトニー。

その状況になって、ようやく宮本は動き出した。今まで目を背けていた真実を追いかけるのだ。

「水草」「タニシ」「被害」などのキーワードを入れ、ネット検索することによって、真実はあっさり見つかった。

どうやらトニーはスネイルと呼ばれる水槽の厄介者で、水草を食い散らかしたり大量に繁殖する存在だったらしい。サカマキガイ、それがトニーの正式名称だった。

「それで……トニーはどうなったんだ?」俺はおそるおそる聞いた。

「指でつぶして生ゴミとして処分してやったよ。水草もろともな」

フハハハハと宮本は高笑いをしていたが、そこには怒りの感情が多分にふくまれていた。

「しょうもな! お金をかけなかったのが、せめてもの救いやな」

「この後はガラス瓶に苔を入れて庭園を表現するコケテラリウムに挑戦するのだが、それはまた別の機会に……」

「遠慮しておきます」

     ※

翌日、宮本から画像が送られてきた。ボトルアクアリウムを立ち上げたときの画像で、水草もフサフサとしていた。それっぽく素敵に見えるような気もしたが、ボトル自体は駄菓子屋でよく見る、串イカが入っている容器にしか見えなかった。

「ディストピア後の画像はなかったです。残念」

とあったが、それは見なくて正解な気がする。好奇心はわくけれど。

そして俺は考える。もしポックンがいなくなったら、そのときは宮本のように迷走して、わけのわからない趣味にいどんで失敗するのだろうか?

ふと、ポックンを見ると、医師に処方された強めの薬がギンギンにキマっているのか、ぬいぐるみを相手に狂ったように腰をふっていた。

こちとら飯を食っている最中だというのに。

いずれポックンが虹の橋を渡り、悲しみが沸き上がってきたときに、ポックンが腰をふるシーンがフラッシュバックして、俺の感傷をぶち壊してくれるのだろうか?

それはそれでアリな気もするし、素直に泣かせてくれよとも思う。それはその時に体感すべきことで、いま考えることじゃないのだろう。

今の俺がするべきことはただ……飯食っているのに発情するのはやめてくれへんだろうか、と顔をしかめるばかりだった。ちょっぴり半笑いで。


     完

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集