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#064 ツアーでいく猿島、記念艦三笠、YOKOSUKA軍港めぐりにいかねぇ?
ツアーでいく猿島、記念艦三笠、YOKOSUKA軍艦めぐり、前から気になってたよな。案内ガイド付きで、記念艦三笠の指令室で横須賀カレーの昼食もついてるらしいぜ。ゴーツートラベルで、お得にいけるし、無人島にいかねぇ?
#064 旅行日 2020年11月
たびの流れ
猿島→記念艦三笠→軍艦めぐり→ヴェルニー公園
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わかったこと
入場料など実費がかかるツアー、割引でお得感倍増。
色々調べなくても行程が決まってるから楽ちん。
やはりガイドさんの説明ありは楽しい。
猿島
三笠桟橋(三笠公園)で集合。船で約10分、自然島の猿島に到着する。
約1.7km。船で10分。
定番の観光地となっているため、色々スムーズで、猿島内のガイドもしてくれる。
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島の周囲は、1.6km。
島からは、縄文時代、弥生時代の土器や人骨がでてきているため、古くから島には人が出入りしていた。
それこそ、島流し的なやつとか、島に逃げてくるとか、、でも真水がないだろうし、どうやって暮らしていたのか、気になるところだ。
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となった。
1847年(幕末)江戸幕府により国内初の台場が築造。
明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
この施設が実戦に用いられたことはない。
島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、国史跡となっている。
要塞の切通し
高さ5~6mの壁ができるよう山を切り開き、空から軍が発見されないよう切通しを作った。
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日本国では数少ないフランドル積み(フランス積み)が見られる。
短い面と長い面を交互に並べる積み方。
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その切通りの中に兵舎跡
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弾薬庫跡
大砲の弾薬が収められていた。
左側の小さな入口は弾薬庫内に灯りを置く、専用の出入口。
左側は空気が出入りする構造で、火は消えません。
弾薬庫に火を持ち込み、引火しないようにする工夫です。
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石の階段。兵舎の兵士が、砲台へ上がっていった階段。
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レンガ造りのトンネル
当時の煉瓦は素材や焼成温度が均一でなかったため、結果として色とりどりの煉瓦がみられる。
もっとゆっくりとみたかったんだが、ガイドさんがどんどん行っちゃうからよ、、、
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砲台
トンネルを抜けると、東京湾をみる高台に、明治時代中期に第1砲台に27㎝カノン砲座2門、第2砲台に24㎝カノン砲座4門があった。
海から空へと戦法が急激に変わったことなどから、実戦で使われることはなかった。
その後、昭和16年ごろより鉄筋コンクリートの砲台が5座造られた。
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展望台
急坂を上り、猿島頂上部に向かうと展望台広場。
砲台と共に、第2次世界大戦時頃に観測所として建てられたもの。
仮面ライダーのショッカーの基地に使われたこともあるそう。
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ガイドレシーバーの聞こえる範囲で、ガイドさんについていかないといけない。
写真も隙間でサッサっと撮るので、常に人が入ってしまうのはいた仕方ない。
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世界三大記念艦 三笠
三笠公園に戻り、記念艦三笠にいく。横須賀カレーじゃ!
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戦艦三笠と東郷平八郎
1902年(明治35)竣功 英国に発注した6隻目の戦艦。
日本海海戦で旗艦として、(VSロシアの世界屈指のバルチック艦隊)激しい戦闘を繰り広げロシア艦隊を撃破、降伏させた。
これはアジアが欧州に対する最初の勝利である歴史的に大きな意義があるものだった。
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その連合艦隊の大将 イケメン東郷平八郎元帥。
この東郷平八郎、いやいやイケメンって、ほんとにイケメンやんけ!!
めちゃめちゃモテモテだったらしい。そりゃそうだな、これはモテモテだろう。はーーーこれは、そうだな、男も女も惚れっっちまう!!
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復元運動
第二次世界大戦後、三笠は荒廃。上部構造物はおろか取り外せそうな金属類は機関部に至るまで全て盗まれ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされたりするなどしていた荒廃していた。その後は、連合国軍に接収、アメリカ軍人のため娯楽施設「キャバレー・トーゴー」や水族館が設置されたりした。
戦艦三笠は、世界で現存唯一の100年前の鉄鋼製戦艦である。
この惨状をみた国内外の人々の間で復元保存運動が徐々に盛り上がりを見せていった。
本来の状態で残る部分は少なく、砲塔や煙突、マストなどは複製、主砲は鉄製支柱で支持し、甲板の大半も溶接工法で復元、1961年(昭和36)に現在の姿に復元された。
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なぜ敗戦時に連合国は、三笠を廃棄しなかったのか?
戦艦長門のようにビキニに連れて行かれて水爆の的にされた戦艦もあったのだ。
三笠は、日露戦争勝利の象徴で東郷平八郎元帥と共に世界中の海軍関係者から敬愛される存在であった。
米軍人が三笠の保存に協力的であったのと、不活化処理(陸揚げして固定、下甲板以下には土砂やコンクリートを充填、武装はダミーに交換という徹底的なもの)され、すでに戦艦の形をした地上構造物と化していたため。
横須賀カレー
まずは、司令官室で、横須賀カレーを食べる。
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ケータリングで対応されているようだ。
テレビで映像を流がしてくれるので、それを見ながら、いただく。
横須賀カレー、美味いね。
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当初、東京芝浦に廻航する予定だった三笠。
横須賀港岸壁に係留中、 関東大震災で艦底に破孔が生じ浸水したため、急遽横須賀に置くことに変更された。
大正14年6月、保存工事を終えた「三笠」は、満潮時を利用して曳船により岩場を掘削した現在の場所に引き入れられ、艦首を皇居に向けて固定された。
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主砲
最大射程約1万m、口径30cm主砲が2門装備されている。
主砲部分でガイドさんの説明も終わり、あとは自由見学となる。
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シュミレーターやゲームなど楽しめるものもたくさんある、、が!!
やはり集合まで時間がたくさんあるわけではないので、十分楽しめなかったが。
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8cm砲
上甲板中部の両舷にはそれぞれ4門の8cm砲が展示されている。
砲身は観覧者が自由に向きを変えられるようになっているのだ。
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YOKOSUKA軍港めぐり
アメリカ海軍や海上自衛隊の戦艦を間近でみることができる45分のツアーもついている。
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この時は、12号バースは、空母専用ふ頭にロナルド・レーガンが寄港していた。
上手に写真も撮れなかったが、すごく大きいように見えたww
たぶんこれがそうだと思ったが。間違っていたらすまん。
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軍港巡りのガイドさんがとっても上手でわかりやすいし、明るくて、とてもよかった。人気があるのもわかる。オススメだ。
ヴェルニー公園
幕末、横須賀製鉄所の建設と運営を手がけ、日本の産業近代化に大きく貢献したフランス人のフランソワ・レオンス・ヴェルニーの業績をたたえて名付けられた。
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ヴェルニーさんは、造船技師
ヴェルニーさんはフランスで、海軍技術者として多岐にわたる業務に従事。
1860年 当時フランスの半植民地化していた清国(中国)に造船所やドック、小型の砲艦を建造した、その際の副領事として功績をあげる。
1865年 海軍増強をめざした徳川幕府の要請により、横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として来日。当時28歳、とてつもない高給であった。
1867年 明治維新後も引き続き、任にあたり、観音崎灯台、走水水道建設、レンガの製造、技術学校など造船以外の分野でも広く活躍した。
1868年 新政府軍に経費がかかりすぎているため、お雇いフランス人の解雇と工事の中断が検討されたり、妻の健康上の問題で休暇をとり一時フランスへ帰国したりしたものの、事業は順調に進む。
1876年 財政難に陥ったため、高給すぎるヴェルニーさんを解職。フランスへ帰国した。39才。
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なぜ、フランスなのか。
製鉄所建設にあたり、当初指導を仰ぐ候補だった米国は、国内で南北戦争が勃発し、日本への協力に手が回りませんでした。
一方、フランスは、欧米列強の中で遅れをとっている東洋進出の足掛かりを求めていました。
建設地は、フランスの軍港と地形などが似ている横須賀に決まりました。
小栗上野介忠順
条約履行を両国で確認するため、日本初の遣米使節をつとめました。<br />海軍造船所などを視察、アフリカや東南アジアを回って帰国しました。
近代化が進む欧米諸国と、植民地化された国々を見聞した小栗は、政界的な視野で日本を捉え、工業力強化の必要性を痛感しました。
のちに外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと、横須賀製鉄所(造船所)建設を推進しました。
大政奉還後に徹底抗戦を主張したため、役職を解かれた。
1868年 領地の群馬県で官軍により斬首された。41才
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横須賀製鉄所
横須賀市が、横須賀製鉄所(造船所)創設150周年を記念して制作したPR映像。
横須賀は、海に囲まれた半島で丘陵が海に迫り、都市化を進めるには難しい地形である。
一方、海が深く波が穏やかで天然の良港となる入江を備えています。
横須賀製鉄所(のちに横須賀造船所)は、現在のヴェルニー公園の対岸あたりにありました。1865年。
いまは、『Coaska Bayside Stores』(コースカ ベイサイド ストアーズ)と米軍横須賀基地になっています。
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ドライドック(旧横須賀製鉄所)
対岸に見えるのが3基の石造ドライドック。
ドライドックとは、艦船を修理するために使う施設のこと。
ドックは、大中小の3基セットが基本。
当時ドライドックを建設する場合、大中小の3基を建設するのが常識であった。
それは19世紀後半に成立した海軍の艦隊編成に理由があった。
当時の海軍は戦艦を中心とした編成となり、補助艦船として巡洋艦、そして奇襲攻撃の際などに活躍する駆逐艦などで編成されるようになってきた。従ってその艦隊編成に合わせて、ドックも船体の大きさに合わせて大中小の3基を建設することが効率的であった。
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第1号ドックは、1871年(明治4年)に完成したわが国最古の西洋式ドック。
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基本的に埋立地ではなく地山であり、特に2号ドックから3号ドックにかけては標高約45メートル程度の白仙山と呼ばれていた丘を切り崩している。
土質については、更新世に形成された、粘着度が強くかつ水を通しにくいシルトが固結した軟岩の土丹と呼ばれる種類の強固な土質である。
掘削が困難という欠点はあるものの、ドックの建設中に大規模な土留めを必要とせず、さらに建設後はほぼ全体が海水面下となるドック本体が生み出す浮力によって発生する不等沈下が起こりにくい、ドックの安定性、耐久性を保つには最高といえるものであった。
ドック建設に適した石材は、現在の神奈川県真鶴町から静岡県熱海市にかけて産する、安山岩質の本小松石が最適であると判断し、使用された。
水面近くにみえる「A」「B」の文字があるの鉄の板が、ドックの扉だそう。
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残念ながら、日本最古のドライドックは見学することはできない。
米軍の横須賀海軍基地内にあり、現在も米軍によって使用されている。
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4号、5号、6号ドッグも横須賀海軍内にある。日露戦争以降ここから軍艦がいくつもつくられた。
過去には空母ミッドウェイ、空母インディペンデンス、空母キティホーク、原子力空母ジョージ・ワシントンが母港とし、現在は原子力空母ロナルド・レーガンが母港としている。
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楽しかった、ありがとうございました。