漫画「僕らはみんな河合荘」 感想 / あるいは誰かを好きになるという感情について
誰かを好きになったことはありますか?
じゃあ、その誰かに好きになってもらうために、勇気を振り絞ったことは?
半年くらい前に薦められていた「僕らはみんな河合荘」を最近読みました。コメディ的な明るさを以て河合荘の住人を描きながらも、物語を通して主人公とヒロインの距離の変化を非常に丁寧に描いている素晴らしい作品です。コメディ的な明るさを以て河合荘の住人を描きながらも、物語を通して主人公とヒロインの距離の変化を非常に丁寧に描いている素晴らしい作品です。いま(2020/06/17)見たらkindle unlimitedの対象みたいですね。全11巻です。
以下、あらすじやネタバレを含む感想を書いています。普通にストーリーラインを最後まで追ってしまっているので、未読の方は読まない方が良いです。とても面白い漫画ですので是非読んでみてください。
一歩踏みだす勇気を持たなかった僕のような人間にとって、青春ラブコメの世界は剣と魔法のファンタジーにも似た遠い世界に映る。
こんな世界はありえない、と一蹴するのは簡単なのかもしれない。けれど、他者の存在を心の底から希求する青い衝動は虚構のものでは決してない。現実と虚構の狭間に位置に、青春ラブコメの世界は在るように思える。
この物語もそうした青春と恋を描いたものとなっている。アパートで始まる新生活という構図は、『めぞん一刻』や『ひだまりスケッチ』を彷彿とさせるかもしれない。普通の友人ではありえない距離で生活を共にする近さが、多くの共通項を生み、たくさんの思い出を重ねていく。寮生活ものの魅力は、そういった非日常的な日常の描写が、輝かしい理想的な青春の姿をしているように感じ取られるからだ。そして、その光景は、フィクションの中の青春に憧れながらも、それに勝るだけの強度を持った思い出をついぞ持つことのできなかった人間に、致命的な威力を持って突き刺さる。
高校生活の始まりとともに河合荘での新生活を始める宇佐くんは、そこで暮らす河合律という同じ学校の先輩に惹かれていく。本を友とし、人とあまり関わらない先輩に近づこうと、宇佐くんは努力を重ねていく。
例えば、いつも1人で寂しそうな先輩に積極的に話しかけてみたり(これは失敗)。
例えば、先輩と同じ本を読んでみたり。
先輩にとっては、同じ本を読んで感想を言い合えたりすることが、とても楽しかった。今まで本を読むときは1人だった。その体験を共有できることの楽しさを先輩は知った。そして、1人だった自分に話しかけてきてくれた相手の優しさも。
でも、その優しさは自分だけに向けられるものではないのだ。宇佐くんは誰にでもやさしいから。めんどくさい性格の自分にも優しく話しかけてくれるだけだ。そんな風に先輩は考える。
自分にとっての本の価値ほど、宇佐くんの中のそれは大きくはない。マンガとかゲームとか、きっと高校生らしいものの方が本当は好きなのだろう。
私とは違って。
一方で宇佐くんも、先輩にとっては自分よりも本の方が心を占める割合が大きいのだろうと感じてしまう。自分と話す時間がなくても先輩は悲しんだりはしないだろうと。
こうしたすれ違いは、現実においてもよくあることかもしれない。相手の気持ちを推測して、深読みしすぎて読み違えたり。あるいは、傷つかないために、相手に一歩踏み込むことを躊躇い、線を引いてしまったり。
でも、相手の心を見通せやしない我々は、そんなすれ違いを回避する術を知らない。
だから歩み寄る。
宇佐くんが好きなゲームのことを。
先輩が好きな本のことを。
知りたいと思うのは、もっとそばにいたいから。
そうして先輩も少しずつ宇佐くんに歩み寄り始める。
とはいえ、宇佐くんの感情が恋であるのに対して、先輩のそれは友情の相似形だった。
おそらく、ただの友情ではない。めんどくさいと自負のある性格をした自分に優しく接してくれる宇佐くんにたいする感謝や恩のような感情はある。だが、それが恋であるかというと、きっとまだ早いのだと思う。
恋と友情の違いはなんだろう?答えは数あるだろうけど、現代日本における回答の一つとしては、友人は何人いてもいいが、恋人は1人だけというものが挙げられる。恋は独占的な感情だ。その相手が余人を以て替えがたいという思いの延長線上に、恋や愛は存在しているように思える。
わかりやすくいえば、嫉妬が恋愛感情の種ということだ。
そして嫉妬は、第三者の存在によって現出する。
先輩と勉強会で近づき始めた高橋くんの存在。
宇佐くんと親しくなっていく椎名さんの存在。
今まで「きみとぼく」の関係だった2人は、感情の再定義を余儀なくされる。
宇佐くんは考える。
自分が先輩と近づくことができたのは本の感想の言い合いがきっかけだった。じゃあ、その役割は、もっと本が好きな別の人が現れたら、取って代わられてしまうものではないのか?自分よりも先輩に相応しい、頼りがいのある人がその役割を務めた方が、先輩にとっても幸福ではないのだろうか?
先輩は考える。
宇佐くんには、自分のようなめんどくさい性格の人間よりも、椎名さんのような人当たりも良い素敵な子の方が合っているのではないだろうか?
宇佐くんはめんどくさい私のことなんか放って、自分のいない場所に行ってしまうのではないだろうか?
そんなのは、いやだ。
でも、どうすればいいのかわからない。
2人は河合荘の住人の後押しを受け、お互いの心情をぶつけ合う。
相手の気持ちがわからずすれ違うのなら。相手の気持ちを聞くしかない。
それは本当に難しいことだ。難しいからこそ、人と人はすれ違うのだから。
先輩の気持ちを引き出したのは、紛れもなく宇佐くんの今までの積み重ねがあればこそだ。宇佐くんの優しさと懸命な歩み寄りが、先輩の心を振り向かせたのだ。
そして、すれ違いを乗り越えて。
友達に対する親愛の類であった先輩の宇佐くんに対する感情は、しかし、少しずつ変わっていく。
宇佐くんにメールで誘いをするようになったり。
宇佐くんが椎名さんと2人でいると、気になってその場に割り込もうとしたり。
宇佐くんから真っ直ぐに好意をぶつけられて、その場では跳ね除けるものの、嫌悪の感情はなかったり。
宇佐くんに自分が一番好きな本を知ってもらおうとしたり。
宇佐くんは告白のタイミングを探していた。
失敗するわけには行かない。最高のシチュエーション。最高のタイミング。
考えれば考えるほどわからなくなる。
でも。もう振り返らない。
かっこ悪くても、踏み込んで、先輩の手を掴みにいく。
ゆっくりと、先輩も宇佐くんの気持ちに気づいていった。
宇佐くんの優しさを、手放したくない。
そうして、2人の気持ちは重なっていく。
長い時間をかけてようやくたどり着いた感情を、愛おしく抱きしめる。
この物語において、宇佐くんの先輩に対する一途な恋心は一貫している。最初出会った時から、先輩のことを思い続け、振り向いてもらうために動き続ける。変わらぬ想いを抱き続けることはとても難しいことだ。現実にはたくさんの要素が転がっていて、その多くが魅力的に映るからこそ、ひとつの思いを貫きとすことは極めて困難だ。だからこそ、宇佐くんの思いは尊ぶべき純粋なものであるように思う。
対して、先輩の心情は緩やかに変化していく。本の中の世界に没頭していた先輩は、宇佐くんを通して人と関わることの楽しさを知るようになる。宇佐くんへの感情も、本の感想を言い合える人から、信頼のおける友達、そして自分にとって大切な存在へと。その速度はゆっくりかもしれないけれど、だからこそ感情の変化を緻密に追うことができるし、強い共感を覚えるし、不器用な先輩を応援したくなる。自分の中の気持ちに気づくことは、きっと難しいことであるし、それを認めて変化を受け入れることもまた、精神が硬直してしまった人間にとって奇跡にも等しい難度を備えているように見える。その気持ちが痛いほどにわかるから、次第に変わっていく先輩の姿にどこか励まされている自分がいる。
宇佐くんと先輩がすれ違う場面になるたびに、このまま離れ離れになってしまうのではないかと心配になる。それも、2人のすれ違いが現実でも簡単に起こりうるだろうという説得力があるからだ。お互いの気持ちが見通せないから、些細なことで勘違いし、拗れていく。現実では、そのすれ違いがもとに戻らないことの方が多いかもしれない。だからこそ、2人が同じ場所に戻ってこられるたびに安堵する。そうやって、物語の終わりまで、祈るように2人のことを応援し続けていた。
以上が宇佐くんと先輩に対する所感でした。この物語におけるメインヒロインは先輩だけと言えるで、最後にはきっと一緒になるんだろうなあと思いつつも、宇佐くんの好意が先輩に伝わらなかったり、先輩が宇佐くんのことを勘違いして離れてしまったり、恋のライバル(?)が登場したりと、2人にとっての壁が現れるたびに、2人はこのまますれ違ってしまうんじゃないかという不安になる気持ちが抑えきれず、終始感情を振り乱しながら読んでいました。少しずつ変化していく先輩の感情の起伏や、2人の関係性の変化の描写が非常に緻密というか、現実味のある思考をトレースしているので、読んでいて「こういう感覚、覚えがあるなあ」と何度も深く頷いていました。だからこそ、大きく感情移入しながら物語にのめり込んでいく感覚があり、一つの青春を追体験したかのような読後感が非常に爽やかに感じられました。……うまく言葉にできませんでしたが、一つの恋を丁寧に追いかけていく青春ラブコメとして、とても深く心に残る作品でした。この作品を自分に薦めてくれた人に、今度会ったらお礼を言いたいと思います(半年くらい積んでしまっていたのですが……)。
あとこの作品は主要人物の宇佐くんと先輩以外の登場人物も非常に魅力的でした。
真弓さんや愛美さんの、なかなかうまくいかない社会人としての悩みだとか。
彩花さんとツネちゃんの、互いに憧れを抱き合っている関係性とか。
ふと思ったのですが、高校生を主人公にした作品にしては大人の登場人物が多いですね。舞台が河合荘であるからだと思うのですが、社会人の自分としては、特に真弓さんが抱えている不安や悩みが非常に心に沁みていました。自分の現状に呪うような言葉を投げかけつつも、世界を強く生きていくその姿に都度励まされていました。
また、11巻に収録された番外編で、高橋先輩の想いが描かれていたのもとてもすきです。叶わなかった恋を描くのは、報われなかった想いに決着をつけるために必要な行為だと思っていて、自分はどちらかと言えば届かない恋の方に感情移入してしまうので、そこを描いてくださったのは、なんだか勝手に救われたような気分になります。現実だと、きっと叶わない想いの方が多いでしょうし。だから、そのような物語は、現実に生きる我々を救ってくれるような力を感じます。
あと最後にひとつ、印象的だった話数を。
4巻第9話で、住子さんが、元住人の陽子さんに対して、「一度出た仮宿に戻ってきてはいけない」と告げるシーン。河合荘の歴史と、流れゆく時間、そして今の青春がいつか終わっていくことを予感させるこの話がとても印象的でした。この話が最終話直前とかではなくて、割と序盤に出てくることで、日常や青春がいつか終わることの普遍性を強く示唆しているような気が勝手にしてます。時間は逆様に流れはしない。その流れの中で、一生懸命に生きる人々の姿を描いた、人生へのエールを感じる作品でした。大好きです。
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