共感は、私が私にすることから始まる
今日は、お祝い。
長女のお誕生日、めでたい🎉
加えて、自己共感できて
やりたいことには、やりたくないこともある
その、やりたくない。を、やれた日。
そ、ダブルお祝い。
と、そんなめでたい話は
長女のお誕生日ではなく
もう一つのお祝いの話を書き綴る。
今年に入って、NVCの世界で生きている。
白黒はっきりさせたい性格を
なんとか、グッと抑えながら
ネガティヴケイパビリティの中に留まったり
身体の反応を感じながら
人と話をしたり…
何よりも、やりたくないことをやっている時の
自分に共感しながらやれていることが
すんごいじゃねぇか…!!と己を褒め称えている訳です。
身体の反応を感じながら
「ドキドキしている」
「強張っている」
「ぞわぞわしてる」
「わらわらしてる」
今の自分の状態を、そのまま観察にて
そう感じていることに、気持ちを寄せる。
ダメ出しなんてせず
うんうん。って寄り添う。
相手に共感ができるのは
自分に共感ができてこそ。
共感って、いままでしてきたことがなかったら
本当に難しい。
だって、やってきてない事だから。
けれども、共感がなんぞか。を知ると
自分が自分にバツをつけることも
自分にダメ出しすることも
まずは、受け入れられる=共感できる。
なかったことにすると
そう思っている自分の部分が
とても悲しむ、やさぐれる。
どんな気持ちにも共感を、居場所を。
そして、そう思うのは、何を大切にしたかったの?と、問いながら、見つめる。
私には、ありがたいことに
共感してくれる仲間がいる。
アドバイスなんてせず、変な悪口にもならず
わたしのありのままに共感してくれる人の存在が
私自身が自分へ自己共感できるようにもなれる。
NVCが、私を随分と
しなやかにさせてくれている。
強い!勝つ!じゃなくて
私は、しなやかに生きたい、それだけ。
折れずに、冬も緑の葉っぱを茂らせる
木のように、竹のように
いつでもわたしは、わたしのままでいたい。
上半期の苦しさを経て
なお、苦しい…と感じることもありながら
自分の感じる違和感や直感を
大切にしていくこと。
後悔しないように、伝えたいことの言葉を獲得していくこと。
そして、なにより
わたしが大切にしたい、こどもたちとの関わり。
こどもが主語なのか?
大人が主語になっていないか?
大人の都合で動かさせていないか?
ここをブレずに、これの芯がはっきりと
できてきたなとも思えることが
日常の中でも感じ取れるようになってきた。
ムキになることもある。
ムキになることなんて、手放せばいいかもしれないけれど、こどものことになると話は別。
そして、そのこどもたちと
健やかで人間らしい関わりができるように
NVCを学ぶ私がいる。
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