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漫才

頭の中を整理する為にこの文章を書いている。芸人さん、漫才とは全然関係ない話です。つまらないと思います、本当にすみません。


趣味が多いのも考えものだなぁとふと思った。

わたしはTwitterやブログのアカウントをそれぞれ3.4個保有している。それぞれ呟いたり書いたりするジャンルごとにアカウントを分けているからだ。

ある時は小説書き、ある時は音楽について書き、ある時は京都について書く。音楽ひとつとっても、人生捧げたいちアーティストをもっと掘り下げたい欲があり、それ以外の、それでもかなり好きなアーティストの曲も聴きたい、書きたい欲があったり、で本業休業中にも関わらず、頭の中は常に忙しい。


気分としては、本業の傍ら、作家であり、音楽ライターであり、京都ライター、みたいな。あくまでも気分。人気と文才と経験が追いついてなさすぎるけど。

読み専っていると思う。自らは書くことはせず、誰かが書いたものを読むだけの人。その為にアカウントを作っている人も多い。

わたしもそれになれたら良かったのに、とちょっと考える。なまじ、書く行為を知ってしまったのが良くなかった。

ついでにわたしの良くないところは、やりたいと思ったものはきちんとした準備期間なしでも、えいやって始めちゃうこと(ここのnoteも京都のことを書きたいと思っただけで大したネタもないのに始めてしまった)と、周りの影響を良い意味でも悪い意味でもものすごく受けやすいこと。
あと、同じ事をずっと続けることができないこと。


誰かの投稿を見て、すごいな、わたしも頑張らないとと思い、それに集中するとすぐに他のジャンルが疎かになってしまう。
私生活で忙しかったりすると何かを書くこと自体、疎かになる。

あれもこれもと手を出してしまうのは良くない。でも書きたいという欲は止められないし、更新は出来るだけ頻繁にしたいし、そこそこのクオリティは保っていたい。

誰のために?

そもそも論。

自分の妄想を言語化した小説も、アルバムのレビューも京都への熱くて気持ち悪い思いも、誰かのために書いているんだろうか。

そうじゃない。自分のためじゃん。

あわよくば、誰かが読んでくれたら幸せだなとは思うけれど、こんな小さな所でコソコソやってる奴なんて誰も知らないだろうし。じゃあ、

自分が一番の読者。

で良いんじゃないか。

見えない何かに急き立てられてるような感じだったが、なんとなく自得できた感じ。

自分で悩んで、自分で解決する。最高のなんやねん野郎。

もうええわ、ありがとうございました。



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