「必殺仕業人」の仕事場
霊感が強い人だったら、間違いなく、何かを強く感じるに違いない場所に行ってみた。東京メトロ・日比谷線の小伝馬町駅のすぐ近くにある「伝馬町牢屋敷跡」。江戸約260年を通して、死刑囚を収容し、刑の執行も行っていた場所だ。幕末の「安政の大獄」で処刑された吉田松陰のほか、高野長英や平賀源内、鼠小僧次郎吉、八百屋お七もここに収監されていた。藤田まこと演じる「中村主水」が「必殺仕業人」で勤務していたのも、この牢屋敷だった。
新緑の木々の下で、談笑するカップル、子どもたちが走り回る「十思公園」。こここそが江戸時代に牢屋敷があった場所だと知ると、のどかな光景が変わって見える。
公園の隅に大きな石碑があった。「松蔭先生終焉の地」とある。長州藩の松下村塾で、明治維新の立役者たちを育て、討幕運動に駆り立てた吉田松陰。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、この牢屋敷に投獄された際、自ら老中暗殺計画を告白して死刑を言い渡される。
隣のより大きな石碑には、斬首される前に詠んだ有名な辞世の句が刻んである。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」
享年29歳。満年齢で30歳にもなっていなかった。
さて、公園に隣接しているのが、「十思スクエア」。2階には「十思湯」という公衆浴場まである東京都中央区の公共施設だ。ちなみに入浴料金は税込520円。「十思」とは、中国の歴史書「資治通鑑」に治められている天子がわきまえるべき10の教えから来ているのだそうだ。
この「十四スクエア」の中に、牢屋敷の模型が展示されている。高い塀と堀に囲まれた内部の様子を正確に再現してある。房は武士や町人、農民、無宿者など、身分ごとに分かれ、井戸もあった。
よく見ると、ご丁寧に人形まで置いてある。門の前にいるのは門番を務める下男だろう。
一般の町人が収容されていた「大牢」は一部屋30畳。釣る責(つるしぜめ)などの拷問が行われた「拷問蔵」、看守を務める同心が住む長屋もある。「首斬場」と書かれた場所では、いまにも斬首の刑が行われんとしている様子が。リアルすぎる!こわ!
ところで、細い路地をはさんで公園の隣には高野山真言宗の大安楽寺がある。明治に入って、牢屋敷は市ケ谷に移り、この地は荒れ地となっていたが、処刑された人々の霊を弔うため、1875年(明治8年)に創建された。
寺の敷地内には「江戸傳馬町牢御椓場跡」と刻まれた石碑がある。御椓場とは打ち首場のことで、模型にあったまさに「首斬場」のこと。この場所で、吉田松陰が短い生涯を終えたのだ。
死罪となった人々を供養するために建てられた延命地蔵に手を合わせ、冥福を祈った。
必殺シリーズの中村主水は、北町奉行所、南町奉行所の定町廻り同心から、殺し屋を取り逃がしたことで降格、「必殺仕業人」ではこの伝馬町牢屋敷の牢屋見廻り同心を務めた。
歌舞伎座に今月観に行く歌舞伎の演目「四千両小判梅葉」も、後半の舞台が伝馬町の牢屋敷のようだ。当時の様子を知ることができ、よい予習となった。