見出し画像

内省はツイートした瞬間「パフォーマンス」になる

 今週の振り返りの中でも触れたんですが。

 Twitterで「結婚報告したけど無視されたから切った」みたいなツイートがすごい拡散されてましたね。
 でね、まあ、ああいうツイートってリプ欄にわらわらと「正論」がぶら下がるじゃないですか。「このツイートに“切られた理由”の全てが詰まっててワロタ」的なやつですよ。
 そういう正論ツイートの数々を見ててね。「ああ、私もこの人みたいなことばっかり繰り返してたから今友達が一人もいなくなってるんだな」って思って。すごい落ち込んだり、過去の自分の言動なんかを振り返って「あ~~~……」ってなったりしてて。
 んで、そういうあれこれを呟こうかなと思って。こんな感じで。

結婚報告云々の人、興味本位でツイート見たけども、多分私もあの人と似たようなタイプで似たような感じで嫌われて縁切られていったと思うので、他人事ながら色々キツい。リプ欄がいちいち心臓に刺さる。

独善的というか独りよがりというか自分勝手というか、自己主張ばっかりぶつけつつ依存心はめちゃくちゃ強くて、相手にどんだけ負担かけてるか分かってないし気づけてないんだよね。

色んな人にイヤな思いさせてきたしこれからも誰かしらにイヤな思いさせるんだろうかと考えるとしんどい。マトモになりたい。

何回反省しても同じこと繰り返してしまうのは「反省してるワタシ」に酔ってるからなのかもしれない。自分酔いで完結しちゃってまた同じこと繰り返す。

 でも、こう、なんか、呟く前に何となく手が止まりまして。
 私、これまで何回こういうツイートしたんだろうって思って。
 そんで結局、なんも改善しないまま今に至ってるなとか思って。

 ちょっと考えたんです。「反省してる」「落ち込んでる」「直さなきゃ」「私ってこういうとこダメだよね」みたいな思いって、ツイートした瞬間アピールになるっていうか、パフォーマンス化するっていうか。こんな風に自分を顧みて反省してるワタシ偉いでしょになるっていうか。
 他人に向けて文章を練ってツイートした瞬間、モヤモヤしてたものが悪い方向に霧散して自分の中からなくなっちゃう。ツイートすることで全部が終わったみたいな感覚になってしまうのかな、とちょっと思ったんです。

 以前「自分が出来ること、知ってること、頑張ってることはいちいち人に言いふらすもんじゃない。自分だけが分かってればいい」って書いたんですが、これもそうなのかなって。「反省は自分の頭の中だけでする」ことが大事なのかなって。
 ここにこうしてグダグダ書き記してるのは「自分との対話」にカテゴライズしてるのでノーカンにしてほしいんですけど。笑

 そんなわけでね、「私はこんなこと出来る・知ってる・頑張ってる」のチラチラアピールの他、「こんな風に内省出来るワタシ」的なツイートも、しばらくは封印してみようかなあ、と思ってます。

 呟くことどんどんなくなっていくな!
 まあ、一応やってみます。

※これらはあくまでも私に限ってのことなので、他の方のツイートをどうこう言っているわけではないです。反省をツイートした方が効果がある、という方ももちろんいらっしゃるでしょうし。ほんとに人によると思います。「私に関してはこうです」という話ですので、ご理解下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?