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百人一首で育って
本格的に短歌をはじめて、半年足らず。
だというのに、なにか、ふるさとに帰ってきたような安心感と昂揚があります。その理由を探ったとき、子供の頃から親しんだ百人一首に思いが至りました。
親が好きだった影響で、おそらく小学校低学年くらいから百人一首に触れていたと記憶しています。
学研の「まんが百人一首事典」は、背表紙が外れ、ぼろぼろになるまで読んでいました。そうこうするうち、おもしろいくらいに札を取れるようになりました。
それでも、正月に遊びに来る従兄姉には、歯が立ちませんでした。
私よりだいぶ年上とはいえ、それにしても…
一度も勝てたことはなかったと思います。
そんな私も、中学校では校内のかるた大会で圧勝を重ね、いよいよ従兄姉の恐ろしさを知ることになるのでした。
毎年、近江神宮で行われている競技かるたの全国大会は、ニュースでよく目にしていましたし、機会があれば出場してみたかったです。
ただ、高校時代の私には、部活を掛け持ちする体力はありませんでしたし、いま振り返ってみても、残念ながらご縁がありませんでした。
それでも心残りはどこかにあり、職場の旅行でたまたま近江神宮を訪れたときには、無理を言って勧学館に寄る時間をとってもらいました。
やっぱり、高校生のときに来たかった。
さて、いくら「まんが百人一首事典」を読んでいたとはいえ、小学生には和歌の構造はなかなか吸収できるものではなく、専ら、かるたとして百人一首に接してきました。
特に得意だったのは、このあたりの歌たちです。
御垣守衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ
大中臣能宣
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ
大納言公任
うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔
大納言公任さん、大河で拝見できるとは思いませんでした。
逆に苦手だったのがこの歌たち。
つくばねの峰よりおつるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる
陽成院
名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな
三条右大臣
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
左京大夫道雅
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
相模
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋も去ぬめり
藤原基俊
特に、「くるよしもがな」と「言ふよしもがな」はどうにもなりません。私の限界なのでしょう。
また、全般的に「こひ」の札は、文字を認知しにくくて取りづらかったです。
基本的には、よく取れる札が好きなのですが、唯一…でしょうか、なかなか取れないのに好きな歌がこれです。
しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
平兼盛
対になる「恋すてふ」と並べても、なぜかこの歌に惹かれます。得意札にしたかったのですが、叶いませんでした。
いま百人一首を読み直すと、きっと昔とは違った感情が生まれることでしょう。
まずは、本棚から発掘した国語便覧を眺めてみようと思います。