アールヌーヴォーとヌーベルキュイジーヌ 日本とフランスの共鳴の歴史
1900年前後、ヨーロッパで花開いたアールヌーヴォー。
そのきっかけの一つは、浮世絵に端を発したジャポニスムでした。
江戸時代末期、ロンドン万博(1862年)などを契機に、日本の美術品がヨーロッパに渡りました。
なかでも、葛飾北斎や喜多川歌麿などの浮世絵は、ゴッホの「タンギー爺さん」、モネの「ラ・ジャポネーズ」のような直接的な導入だけでなく、西洋美術に様々な影響を与えました。
wikipediaの「ジャポニスム」にまとめられているように、構図、色使い、遠近法の排除など、ジャポニスム以前と以後で大きく絵が変わっていることが分かります。
また、日本美術の曲線的なライン、植物のモチーフは、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動と混ざり合い、やがてアールヌーヴォー(新しい芸術)につながっていきます。
アールヌーヴォーの波は、与謝野晶子の「みだれ髪」表紙デザインなどの形で日本に取り入れられ、日欧それぞれの美術を磨き上げていきました。
しかし、隆盛を極めたアールヌーヴォーも、第一次世界大戦とともにその装飾性が否定され、実用的なデザインのアールデコに移り変わっていきます。
時は流れ、1970年代には、フランス料理の世界をヌーベルキュイジーヌが席捲します。
ヌーベルキュイジーヌとは、フランス語で「新しい料理」。
それまでのフランス料理は、オートキュイジーヌと呼ばれるような、宮廷料理から発展した複雑で手の込んだものが主流でした。
特筆すべきは1900年頃――アールヌーヴォー華やかなりし時代――のオーギュスト・エスコフィエの活躍で、彼によって洗練されたフランス料理は、現在でも日本の皇室をはじめ、各国の正餐に用いられています。
一方で、バターやクリーム、ソースを多用し、複雑で手の込んだ「濃い」料理は、格式あるものではありましたが、完成度が高いが故に枠にはまったものとなっていました。
そこに新風を吹き込んだのが日本料理と言われています。
1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を機に、日本と海外の料理人の交流が本格化しました。
そのなかで、懐石や京料理のエッセンスがフランス料理に持ち込まれ、ヌーベルキュイジーヌとして、革新的な発展を遂げていきます。
デミグラスソースやベシャメルソースのような濃く重いソースを使わず、新鮮な食材の自然な味を活かした「軽い」料理がフランス料理を書き換えていくこととなります。
なお、「大阪万博の際に来日したポール・ボキューズが日本料理に感銘を受け、ヌーベルキュイジーヌが生まれた」とよく言及されますが、ボキューズ本人は否定しています。
ヌーベルキュイジーヌの発端を、フレンチの巨匠ボキューズの来日に求める説はキャッチーですが、むしろ開国以来の日本とヨーロッパのつながりがその背景にあったということでしょう。
秋山徳蔵をはじめとする先人たちの労苦に思いを馳せずにはいられません。
ここまで、美術と料理、二つの分野で日本とフランスの関わりを概観しました。
日頃、あまり交流を実感することが少ない両国ですが、それぞれ影響を与え、共鳴しながら文化を発展させているのが分かります。
※ アールヌーヴォー(art nouveau)と合わせるとヌーヴェルキュイジーヌ(nouvelle cuisine)とすべきと思われますが、本稿では一般的な表記のヌーベルキュイジーヌとしています。
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