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短歌のスタートラインに、ようやく立てた

激動の9月でした。

私が短歌を始めたのは今年の6月から、すなわち「ヒュー! 日向 マッチング短歌 FINAL」からと説明してきましたが、ここにきて、短歌のスタートラインに立てたのは、この9月から、さらに言えば、9月14日からでは、と思うようになりました。

9月14日というのは、「ヒュー! 日向 マッチング短歌 FINAL」交流会の初日です。


それまで、たった一人で、枡野浩一さんの「かんたん短歌の作り方」だけを繰り返し読んで短歌をつくってきた私にとって、この交流会は、短歌を詠む仲間と出会った初めての体験となりました。

約1,800首のなかから選ばれた短歌の作者の皆さんは、素敵な歌そのままのお人柄の方ばかり。

おそらく、受賞者の方々と短歌のレベル差を感じるであろうことは想定していたのですが、実際には、歌の巧拙の次元ではないことが分かりました。心に響くのです。

全然異なる話のようですが、枡野さんが「自分の顔に似合わない短歌はつくらないようにしましょう」と言われた意味が、少しばかり分かった気がしました。
魅力的な短歌を詠む方は、話していても心地よいものだと知りました。

私は、自分の歌がどんな表情をしているのか、まだおぼろげにしか、つかめていません。


そして、一番の驚きが、他の作品を褒める表現の的確なこと。

どうしたら、あんなにピンポイントに、自分なりの切り取り方を言葉にすることができるんだろう。
場数、だけではない気がします。

仮に将来、私の短歌が他の方々と肩を並べるようになったとしても、褒め方がそのレベルに達するイメージは、どうしても湧きません。

文字が主戦場の私にとって、話すという行為が自分のフィールドではないことは承知しています。

それでも。
一歩でも近づきたいと、強く思うのです。


日向での2日間、短歌のことだけを考え、話し、歌にした経験は、私自身を飛躍的に成長させました。
たとえ笑われたとしても、私はそう確信しています。

短歌をつくるときは、自分なりに、完成したと思うまで推敲しています。
それは、短歌を始めたそのときから意識していたことです。
それでも、つくった短歌を日をおいて見直したとき、満足できるものかというと、別問題でした。

マッチング短歌に投稿したものを含め、自選に堪える出来の短歌というのは、実はさほど多くありません。
それが、日向から帰ってきてからは、明らかにその率が上がっています。
なかには、つくった私本人が驚くようなものまで生まれました。

素晴らしい短歌、評に触れることで、短歌の見方が次のフェイズに進んだこと、
迷い悩むことを恐れなくなったこと、
この二つによるものだと考えています。

これは、対面で同じ時間を共有したからこそ得られたものです。
Webで作品に触れるだけでは分からない何かが、その空間には確かにありました。

もしかすると、こういう気持ちが結社に入る理由なのかな、とも思います。
いまの私はその段階ではありませんが、遠く大きく怖いものにみえた結社が、ほんのちょっとやさしくなったかもしれません。


まずは、いろんなことを吸収し、自分に貯えること。
Xをはじめ、琴線に触れる短歌と接することで、自分の立ち位置を見つめ、前に進んでいきたいと思っています。



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