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わたしの短歌の現在地

私は、短歌初心者です。
振り返ると、自分がなぜもっと早く短歌に浸らなかったのか、不思議に思います。

高校の頃から、作家の川上稔さんの影響もあり、芸術は、「言葉」、「音」、「絵」の三つの要素で成り立っていると考えていました。

時間があれば本を読み、音楽を愛し、学校の美術では賞もいただいたりするなかで、もっと早くに短歌を始める機会はあったのではないか。

もし、学生の頃から取り組んでいれば、いまの試行錯誤は、もっと感性の鋭いうちにクリアできたのではないか。

そうはいっても、たとえば25年前に枡野浩一さんを知ったとして、現在の私と同じ受け止め方をしたとは限りません。

ずいぶん遠回りをしたと感じますが、いま、私が短歌をつくりたいのは、いまの私だからなのでしょう。


短歌を始めたのは10年前、というものの、ブランクもほぼ10年あります。

自分の中の何かを吐き出す、あるいはオーバーライドする手段として短歌を見出したものの、その必要性を時間が解決してからは、短歌を詠もうとはなりませんでした。

とはいえ、短歌が嫌いになったとかではまったくなくて、時を同じくして手に取った枡野浩一さんの「かんたん短歌の作り方」は愛読書ですし、いくつかの現代歌人の作品に触れ、心を潤していました。

宮崎県日向市の「ヒュー! 日向 マッチング短歌」に気付いたのも、なんとなくアンテナが残っていたからなのでしょう。

撰者が枡野浩一さん、天野慶さんと知り、2022年、2023年と参加したい気持ちだけは逸りましたが、諸事情で思うに任せず、過去作品をいくつか投稿するにとどまりました。

さほど返歌はつかず、受賞作を見ても、ここに割り込めるとは到底思えませんでした。
ただただ、交流会のイベントレポートを羨ましく読むだけでした。


そして今年、2024年夏、「ヒュー! 日向 マッチング短歌」は最終回との発表がありました。

これまで何度もnoteに書いたとおり、「かんたん短歌の作り方」は大切な本です。
枡野さん、天野さんに自作を読んでいただける機会など、今後どれだけあるか分かりません。ましてや、受賞の暁には、お二人と日向を旅できるのです。願いが叶う海がある街で。

ただ、短歌歴はあってないような私にとって、賞など高望みなのはわかっていました。
それでも、少しでも可能性があるのならば。

もちろん、粗製乱造にならないよう、一首一首推敲しました。
まだまだ未熟なのは承知ですし、実際、投稿後に「あ!」と思うこともしばしばでしたが、自分なりの全力を尽くすことができたと思っています。

それもこれも、枡野さん、天野さんに読んでいただきたい、叶うなら日向でお目にかかりたい、その気持ちからでした。

短歌に限らず、芸術の源泉とはネガティブなものだと思っていましたので、こんな前向きな思いから作品をつくれることを、初めて知った気がします。


今回、受賞の報をいただいてから、天野慶さんの著書を探しました。
新刊ではなかなか見つからず、ようやく手にできたのが「ウタノタネ」です。

この本には、天野さんと短歌の歩みがつづられています。

日溜りに置けばたちまち音たてて花咲くような手紙がほしい

天野慶「ウタノタネ」

この歌が、まさかそんな経緯で生まれたとは、衝撃でした。
なんて積極的で行動力がある人なんだろう、と感銘を受けました。

あわせて、今まで知ることがなかった短歌結社や歌会について目にすることになりました。
「かんたん短歌の作り方」にあった、同人と会員の違いもよくわかっていなかったのです。



そして、X(旧Twitter)でマッチング短歌に参加された方の投稿を見て、皆さんが途轍もない数の短歌をつくり、発表されていることを知りました。

私などとても及ぶものではないですし、今回賞をいただくのが不相応ではとさえ感じます。

私は、何のために短歌をつくるのか、
誰にむけて詠むのか。
確たる答えは持ち合わせていません。

これから、さまざまな短歌に触れ、関わるにつれ、初心者である自分の思いが風化していくことでしょう。

そのときのために、ここに書いておきます。

私は、私が好きな短歌を読むために、短歌をつくりたい。

自分が好む料理は自分でつくる、それと同じことを短歌でもできればと思います。
切り売りするほどの自分は持っていませんし、インテリゲンチャなこともしたくはありません。


ただ、自分が好きなものをつくりたい。

これが、2024年8月、わたしの短歌の現在地です。



※ トップ画像は、願いが叶うクルスの海(みやざき観光ナビから)


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