31.バーモント教からの改宗
消費者金融でがっつり借金しているとか、KGBに所属して諜報活動をしているとか、妻以外の女性との間に子供がいるとか等々、人は誰しも家族に言えない秘密を抱えている。当然、私にもある。それなりに罪悪感を感じているので決して軽微とは言い切れない秘密が。
本日はそれについて懺悔していきたい。ただ、困ったことに私は無神論者。許しを乞うべき神や仏がいない。代わりが務まるほど偉大な存在を思い浮かべてみたが、やはりどう考えても神と呼べるのは矢沢永吉しかいないだろう。
「そう言うわけなので永ちゃん、今から懺悔するんでヨロシク!!」
さあ、早速告白させて頂こう。実は私は実家のバーモントカレーがそんなに好きではない。
我ながら親不孝にもほどがある発言だ。以前、TVでバラエティー番組を観ていたら「好きなカレーを挙げたら必ず実家のカレーが入る」なんて話題でスタジオが盛り上がっていた。確かに気持ちは分かる。ただ、大人になってから攻撃的なカレーを食べ続けたせいで保守的なバーモントに物足りなさを感じる様になっているのだ。
私の両親はバーモントと秀樹によりカレーに目覚めた世代。筋金入りのバーモント信者だ。当然ながらそれは一神教なので実家のカレーは常にそれ一択。それも隠し味にコンソメを入れる以外は指示書き通りの調理法で作るあまりにもノーマルなバーモントカレーだ。両親はこのカレーに何の疑いも持っていない。バーモントカレーで育ち、バーモントカレーを愛したままその生涯を閉じるのだろう。バーモント教の殉教者として。
もちろん子供の頃の私も両親と同様にバーモントを愛していた。学校から帰ってきて玄関を開けたらカレーの匂いが・・・そんな時は「今日はカレーだ!」と、大興奮のあまり声変わり前のハイトーンボイスでシャウトするほどだ。
カレーがその日の幸福を確約するのは言うまでもないが、家族構成によってはその幸福が二日目まで続く。バーモントカレーは1箱全部使い切ると12食分。大家族だったり、激しいお代わり合戦をしなければ翌日も高確率でリピートされるからだ。それに「一晩寝かせたカレーの法則」により翌日に提供されるカレーは美味しさが爆増。よって晩御飯が待ちきれない。カレー二日目はいつだってワクワクして過ごしたものだ。
このように幼少期の私にとって「バーモントこそがカレー」だった。しかし、大学時代の友人によく連れていかれた「ココ壱番屋」により私のカレー観は一変する事となる。
ココ壱番屋と言えば「トッピング」だ。正直、このシステムを知った時は腰を抜かしたものだ。「カレーにはトンカツ以外乗せてはいけない」と思い込んでいた私からすれば目から鱗。「胃袋を満足させるためなら何を乗せても良い」のだ。これがココ壱番屋のストロングポイントであり、悲しいかな、バーモントのウィークポイントである。
そもそも大前提としてスパイシーなカレーにこそのトッピングだ。肉系のトッピングにスパイスが絡む事によって化学変化が起こる。そこで生まれる美味しさは加算ではなく乗算。有名な公式である「握力×体重×スピード=破壊力」に近しい効果が生まれる。そして逆もまた真理。スパイシーじゃないカレーはトッピングが合わない。実際、バーモントに唐揚げなんかをトッピングしたことがあるが結果はイマイチ。唐揚げの表面に付いてるスパイスに当たり負けする体たらくだった。大学生という食べ盛りの生き物にとってこの差は大きかった。
トッピングの概念以外にもココ壱番屋は「カレーは本来辛い物」という当たり前の事実を教えてくれた。バーモント中辛はジャワカレーの甘口程度の辛さしかない。中辛を名乗るのはおこがましいほどの驚異的甘さだ。ご存じの通りココ壱は「甘口、普通、1辛~10辛、15辛、20辛」から辛さを選択できるシステム。「普通」がお店が推奨する平均値、いわゆる中辛に相当する辛さレベルなのだが、バーモントの中辛とは比べ物にならない程辛い。しかし、その名の通り世間一般的にはこれが「普通」だ。これを食べれない様では大人とは呼べない。
ただ、大学入学当時の私はココ壱番屋の普通を受け止められるだけのフィジカルが出来上がっていなかった。バーモント育ちゆえに私の舌は辛さ耐性が非常に低く、「暴君ハバネロ」にノックアウトされるほどの打たれ弱さだった。しかし、思わぬ理由で克服する事が出来た。それは男子に宿ってる謎の負けず嫌いの精神だ。私より一足早く大人になっている友人たちは普通よりも更に1段階辛い1辛を食べていた。私は何も言わずにそれに合わせた。これはサウナで「自分よりも前から入ってる人よりも先に出たら負け」と思う心理と似ていて、「みんなが1辛を食べているのに自分だけ甘口を食べるのは何だか負けた気がする」ので無理をしたのだ。ココ壱に行くたびにそれを食べ続けた。とは言え、フィジカル的に未発達な私は最初の頃、チーズやほうれん草、半熟卵なんかの辛さを抑えるための「消極的トッピング」で誤魔化しながら凌いでいた。こんな後ろ向きな姿勢のトッピングなんて悲壮感に包まれているが、効果はてきめんだった。ここから徐々に辛さ耐性が上がっていき、チーズがチキンカツに、ほうれん草がメンチカツにと、食欲を満たすための「積極的トッピング」へとシフトしていく。そして最終的には1辛でも美味しく頂けるボディを手に入れた。
ココ壱番屋でトッピングとカレー本来の辛さを知った。しかし、まだまだ現役のバーモンターだ。この段階ではまだ「家では甘口、外食では辛口でがっつりトッピング」との棲みわけが出来ていた。バーモント離れが一気に加速するのは大学を卒業し、就職のために上京してからだ。
東京は欲望に塗れた街だが、同時にスパイスにも塗れた街でもある。そこでは個人経営や小規模なチェーンがスパイシーさを売りにしたカレーで鎬を削っていた。ココ壱はバーモントと比べたらスパイシーと言えどあくまでも日本人向け。一線を越えていない。しかし、この地で勢力を拡大していたカレーは違う。ワールドワイドなスパイス感に基づいた、一線を越えている猛者どもだ。
同僚と昼食に会社近くのカレー専門店に行ったり、ステディな関係の女性とインド料理屋で夕食を食べたりと、この地で初めて超絶スパイシーなカレーに触れた私のカレー観は更に広がりを見せる。そしてスパイシーなカレーは当然のように辛い。辛さ耐性も更に上がっていった。こうしてゆっくりと、しかし着実に私の舌は日本という島国の感覚を超え、世界を見据えたスパイシー路線へとその嗜好を変化させていった。
そして松屋の登場だ。当時住んでたマンションと最寄り駅のちょうど中間地点に店舗があった。家と駅の最短ルート上にあり24時間営業。料理の提供は早いしお値段もお手頃。しかも牛めしが美味しい事もあって当時の私は年に180回はそこを利用している筋金入りの松屋フリークスだった。この松屋通いが私をスパイス派への転向を決定付ける事となる。
「あなたの食卓でありたい~♪ま・つ・や♪」なんて曲が流れている松屋の店内は大衆食堂のような温かさがある。牛めしや焼肉系の定食も最大公約数的に愛されそうな優しい味付けだ。なのに、カレーに関してだけは別。痛覚を刺激するほど香辛料をふんだんに使ったカレーは明らかに攻撃的で客に牙をむく代物だ。確かにグローバルな視点から見ればスパイス感が強い方が正しい。それは分かる。カレーなんてものは本来そういうものだ。しかし、それは度を超えていた。日本の食堂や定食屋で出すにはあまりにも尖った存在だった。
なので、最初に食べた際は「結構クセがあるな、このカレー」と微妙なジャッジ。たまに食べる分には美味しく頂けるけど、幼少の頃から長い時間をかけてバーモントナイズドされていた私の舌では常食するには刺激が強すぎる。よって当初の立ち位置は「カレーは食べたいけど駅の反対にあるココ壱に行くのは面倒なのでしょうがなく」程度の妥協枠だった。
そんな浮気相手程度の存在感しかなかった松屋のカレー。それが一気に正妻の地位まで上り詰めたのは「ビーフカレギュウ」を食べるようになってからだ。私の記憶では当時550円。何も乗ってない素カレーが290円、牛めしが320円だったので倍近い値段だ。私のような貧乏人がおいそれと手を出せるお値段ではない。きっとファーストコンタクトはパチンコで勝って気が大きくなっていたに違いない。何にせよ、この出会いが現在に至るまでの私のカレー観を確立させる。
その存在はずっと知っていたものの、実際に現物を見るとかなりの衝撃を受けた。今となっては目新しくもないのだが、カレーライスのライスの部分の上に牛丼の具がのっているなんて時代の最先端、アバンギャルド過ぎる一品だった。視覚的にはインパクト抜群。あふれ出んばかりのご馳走オーラが漂う堂々たる佇まいだ。肝心の味の方も負けていない。素カレーを食べてる時は「パンチが強い、主張が激しい」と持て余していたルーも牛丼の具と合わさると渾然一体とした美味しさだ。そう、先にも述べたようにスパイスは肉の美味しさを引き出す。「牛肉×スパイスの効いたカレールー=破壊力」なのだ。
「なるほど、やっと松屋のカレールーが攻撃的な理由がわかった。単体で食べるのではなく、牛丼のアタマと一緒に食べる事で最高の美味さを引き出すように設計してるのだな」
こうしてすっかり魅せられた私は毎週のように、場合によっては週に2~3回以上食べる「ビーフカレギュウ」のヘヴィユーザー、「ビーフカレギュウ」の高額課金者になっていた。そしてその過程で私の中である変化が起こった。この激しいと感じていたルーが舌に馴染むようになっていたのだ。そうなれば「ビーフカレギュウ」でない素カレーも普通に美味しく頂ける。そう、「ビーフカレギュウ」を通して松屋のカレー自体が好きになっていた。
それから何年も食べ続けた。残業が長引いたので晩御飯は早く食べて早く帰りたい、そんな社畜のニーズに応えてくれる商品でもあったので年間100食近く食べていた気がする。これだけの頻度だったので、実家のバーモントカレーよりも多く食べた計算になる。もうこうなってくるとこれが私にとっての「普通のカレー」だ。
こうしてスパイシーなほうが私にとって日常的なカレーとなり、家庭を感じさせるカレーの方が非日常的となった。富士そばの実家のカレーをさらに素朴にしたような、実家のカレーよりも実家感を感じさせる優しい代物なんか知らない国の珍妙な料理に感じる様になったほどだ。
結果、私の中から甘口でスパイス感乏しいカレー、そう、バーモントがその存在を失うこととなった。
ところで少し話が逸れるが、これを書き綴っていると素朴な疑問が沸きあがってきた。「何故、松屋はそんなにスパイスに拘るのだろう?」
1つの仮説として「松屋の経営者はインド人説」がある。レギュラーメニューのカレーですら相当パンチが効いているし、期間限定で発売され、以後何度も復刻販売している「トマトカレー」なんかはとても日本人の発想とは思えない。仮に日本人だとしても少なくとも日頃からターバンは巻いてそうだ。
そんなわけでちょっとネットで調べてみたのだが、どうやら代表取締役である松屋の会長さんが相当なスパイス狂らしい。先ほど「松屋のカレールーが攻撃的な理由は牛丼のアタマと一緒に食べるため」と言ったが、これは完全に間違っていたようだ。単純に激しいカレーを作りたかっただけらしい。その結果、初めて食べた客がビビるほどのスパイシーさを備えた初見殺しのカレーが出来たというだけの話だ。
しかもその情熱未だ衰えず、現在進行形で暴走しているらしい。ネット上では「松屋のカレーが更にスパイシーになってる」とか「松屋のカレー辛すぎ。人によっては食べれないんじゃない?」的な声がちらほら。なんと怖ろしい事だろう。私が関東に住んでた10数年前でもかなり激しいブツを出してたのに。繰り返しになるが、怖ろしい。
しかし、会長命令でスパイシーなカレーを開発させたり、更には「マイカリー食堂」というカレー専門の別業態までオープンさせるなんて、実に立派な、実に正しい権力の使い方だ。感心してしまう。
会長さんはインド人ではないし、頭にターバンを巻いているわけではない。しかし、どうやら心にターバンを巻いているのは間違いなさそうだ。
このような経緯を経て実家へUターンすることになるのだが、今となってはバーモントは知らない国の珍妙な料理みたいだ。もちろん、私を育ててくれたバーモントへの感謝は忘れていないが、スパイスに塗れ、松屋ナイズドされた舌ではどうしても受け止めらそうにもない。
最後にこの懺悔録を書いていて思ったのだが、実はこれは私だけの問題ではなく、日本全国で起きている、まさに社会問題と言うべきものなのかもしれない。常日頃から感じているのだが、年々カレー業界はスパイシー化している。ラーメンでも同様なケースが起きているような気がするが、味覚は刺激的、濃厚な方にエスカレートしがちだ。その証拠に近所のスーパーでは相変わらずバーモントカレーが売り場の特等席を独占しているものの、やたらと「42種のスパイス配合!」みたいな激しめ路線のブツがやたら目に付く。とあるスーパーでバーモント以外が全てそっち系なんて極端な有様さえ見た事がある。そう、スパイスでエスカレートしてるのは私だけではない。日本社会全体なのだ。
ゆえに私以外にもバーモントが物足りないけど、そのことを家族に伝えづらいと思ってらっしゃる読者もいらっしゃるはずだ。ただ、私と同じ秘密を抱えている同志よ、それがカレーを作ってくれるママンに対する優しい嘘だとしても嘘は嘘だ。「社会のスパイス化が云々〜」なんて言い訳なんかせずに素直に罪を認めよう。そして私と一緒に懺悔しようではないか。
俺たちの神、矢沢永吉に向かって。
「永ちゃん、許してくれませんか!ヨロシク」