あがない

教会で、さまざまな人の苦しみに耳を傾けるようになって、思うことがある。たとえばそれは依存症の問題などに顕著に表れることであるが、ことさら依存に限ったことではなく、生きる苦しみの多くの局面に現れる問題だろうと感じている。

どういうことかというと、「そもそもその問題は克服できるとか、できないとかいう次元の話なのか」ということである。克服ではなく解決という語がよりふさわしい場合もあるだろうが、とにかく苦しみの根源にある問題が、きれいに無くなってしまう日が到来することを、そもそも現実的に望めるのかということである。

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