『イワンの馬鹿』 トルストイ文 ハンスフィッシャー絵 小宮由訳
先日、翻訳家小宮由さんのトークイベントに行った。『ダッドリーくんの12のおはなし』(アノニマスタジオ)の出版記念として小宮由さんの翻訳家というお仕事のこと、アノニマスタジオで翻訳された本のことをお話しされていた。
その中で特に印象深かったのがこの『イワンの馬鹿』を小宮さんが話していたことだった。小宮さんのお祖父様が翻訳をされていた本を翻訳した時の、複雑な心模様を聞いて、私はこの本をもう1度しっかり読もうと思った。
私は確か中学生の時本書を読んだように思う。でも内容はあまり覚えていなかった、子供の頃の記憶は絵を描いた時のことと、家族旅行をした時のこと、お爺ちゃんが亡くなった時のことくらいしかしっかりと記憶がなかったので、母がたくさん児童書を読ませてくれたがあまりよく覚えていない。その頃からわたしは文字に対する記憶力が乏しかった。
さてこの『イワンの馬鹿』である。この本は5月14日雨の日、神保町ブックハウスカフェさんのまつむらまいこさんのトークショーに行く時の電車の中で読んだ。わたしは約2時間ほど電車に揺られていたし、もともと小宮由さん翻訳の絵本が好きだったこともあり、この本の文章はとてもすんなり頭に入っていくもので、あっという間に読み終えてしまった。
この本を読んで感じたのは、人間の賢さがいかに、愚かさを産んでしまうのか、ということだった。
確かに人間が言語を持ち始め、計算を得た時(弥生時代頃?)から己の欲望を独占をしようという思考が確立されたが、その前はもっと単純な思考であったように思う。
人間の賢さは今の現代社会においては必要不可欠だし、それがないと生きられないくらいの資本主義社会だ。素直な人間のさぞ生きにくいことか。
でもこの馬鹿のイワンのように、素直な気持ちや慈しみ、平和、一生懸命働いたあとのご飯が美味しいとか。そういうことを忘れずに、その時感じた幸せの1面をしっかり見つけて行きたいし、その1面を組み合わせて幸せの多角形を作ってしっかり持ち続けようと思った。
そしてわたしはまだ賢さに程遠いので、賢くなったらその賢さを、涙を流さない方法で使いたいと思った。
いつか本当に地球がひっくり帰るくらいの出来事で『イワンの馬鹿』の挿絵を描くことになった時、そして描いた時、「馬鹿」というところの本当の意味がわかるかもしれない。