映画『ファーストキス』感想文
とりあえず感想とか気付いたポイントとか語り合いたいから全人類早く見て〜!!!な気持ちになりました。
Twitter(新: X)で感想を少しだけ書いたものの、あまりにも書きすぎると今から見る人のネタバレになるかもと思ったのでnoteに残しておきます。
ということで、本noteはネタバレしかありませんのでご注意ください。
はじめに
A'の世界でも駈はやっぱり死んでしまうし、カンナはその後を一人で生きていくことになるのだけど、なんといっても、駈が、自分が15年後に死ぬとわかってからの結婚生活の様相が、最初の世界線(カンナがタイムスリップしない、駈が普通に死んでしまう"A"の世界)のそれとは全然違って最高だよね〜〜!!!って話です。
これを書き留めておきたいからnoteを久々に開いたまである。
二人の日常生活
Aの世界の二人は離婚届の記入を終わらせて提出しようとする(※)ぐらいなので、まぁ会話がない。朝同じような時間に起きたとしてもバラバラに朝ごはんの準備をするし、バラバラの場所でそれぞれのものを食べる。同じ時間にたまたま起きた二人だけど、駈は前に突然自分用のシングルベッドを自室に導入しているので、カンナはダブルベッドに一人で寝ている。
笑顔なんてもちろんないし、二人ともちょっと不機嫌そう。ゴミ出しはするけど面倒くさそうに持って行くし、その時話しかけようとしたカンナの声は駈には届かず、ドアがバタンと閉まって二人の会話はまともに行われることなくこれが本当の最後になる。
※駈は離婚届を提出する前に亡くなったのでカンナが死亡届を書くことになるが、役所が遠いと愚痴をこぼしていた。駈は仕事帰り自宅の最寄駅で亡くなっており、本当は離婚届を出す気がなかったのかもしれない
一方A'の世界観の二人は、結婚当初からのダブルベッドで二人仲良く(すこしいちゃつきながら)寝て起きてをしていることが伝わるし、朝の準備もキッチンで助け合いながら行う。食べるのもは駈は卵かけご飯、カンナはトーストと別々だけど、一緒に食卓について会話をしながら摂っている。
駈はご飯派だからおそらく使わないであろう遠赤外線でおいしく焼けるトースターをカンナのために注文してあげているし、駈のワイシャツのクリーニングの引き取り予定を話すシーンがあることからカンナが駈の身なりを気にして生活していることが伺える。
ワイシャツについては、駈がいた研究室の教授の娘から、Aの世界線でカンナに対して痛烈な言葉を浴びせられている。
正確なセリフではないが、「あの日の駈くん、ワイシャツの襟が黄ばんでたんです。身なりを気にしてくれる人まあないんだ、と思って。私ならそんなことしないのに」、と。このセリフを聞きながら"大人なんだからそれぐらい自分でできるでしょ"と思っていたのだが、そういうことではなく、これはA'への伏線でした。
Aでは黄ばんだシャツを着ていたけれど、A'ではクリーニングに出した綺麗なシャツを着ていて、なおかつそれは(おそらく)カンナによる差し金。
と、まぁ、生活シーンはそんなに多くないにもかかわらず、これだけの違いがあるし、多分一度見ただけでは気付けていないポイントもたくさんあると思う。
3年待ちの餃子
映画の冒頭、仕事に疲れて寝ているカンナがインターホンで起こされる。3年待ちの餃子が代引きで届いたのだ。これはAの世界線で、餃子の存在をようやく思い出した風であることから、注文者はカンナと考えられる。
一方A'の世界では、餃子が単純に配達される。代引きではなく注文時に代金が支払われているようで、なおかつカンナは見覚えがなさそうであることから、注文者は駈であると考えることができる。
A'の駈は、タイムスリップしてきたカンナ(A)によって自分がいつ死ぬかを知っているが、A'のカンナは駈が死ぬことさえも知らないと考えるのが筋であり、だからこそ3年待ちの餃子をわざわざ自分が死んだ後に届くようにしたのは、愛する妻であるカンナに少しでも寂しい思いをさせないようにという配慮だろう。
餃子がただ届くだけではなく、代引き→注文時支払いになっている部分にも、駈とカンナが過ごした15年間が現れている。これは、先に書いたトースターをわざわざ購入しておいてくれたことやワイシャツのクリーニングを引き取りに行く会話にも共通するが、お互いを思い合って生活していることが見て取れる。
Aの世界ではギスギスした雰囲気、お互いを思い遣っている様子はなく、(まだ離婚届を出していない)家族であるからただ義務的に生活を共にしているようにしか見えない。
映画はAのカンナの餃子のシーンではじまり、A'のカンナの餃子のシーンで終わる。だからこそ、二人の今までの過ごし方がこの餃子の対比に現れていて、全編を通して見ている観客である私にとっては心に残るシーンだった。
そのほか細々したところ
※一度しか見ていない状態で書いているので、間違っている場合があります
遺影の写真
A→無精髭を生やし、くたびれた様子
A'→無精髭はなく、笑顔
遺影の横の供花
Aに比べて、A'の方がお花の種類が多かった
研究時代の本
Aでは廃棄予定かのように縛られていたが、その描写がA'ではなかった
トータルの感想
人はいつ死ぬかわからないけれど、ついつい毎日を普通に過ごしていると忘れがちになる。外で疲れて、ついつい家庭では優しさを欠いてしまうこともある。だけど、そうやってより大切にすべき身近な人を蔑ろにしていると後悔することになるかも知れない。
消されているべき電気が点きっぱなしのとき、自分の気持ちが波打っていればなおさら、それをチクチクと責め立てたくなる。
そもそも責め立てる相手がいることも当たり前のことではないということ、今ある環境がいつまでも続く保証はないこと。
ついイラッとしてしまう時には、ファーストキスを見て泣いた時の気持ちを思い出そうと思う。