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お見事!両親の断捨離 〜親の移住と、家族の記録#15〜

移住先には、本当に必要なものしか持っていかない。それが両親の考え方だった。
家自体が小さくなるという物理的な理由もあるが、それよりも、「モノの少ないすっきりした環境でシンプルに暮らしたい」という気持ちが強く、断捨離にも積極的だった。

もともと、そこまでモノが多い家でもなかったし、移住物件探しを始めた頃からは余計なモノを増やさないよう気をつけてもいた。それでも長年住めばそれなりに蓄積されるし、部屋数や収納スペースがあるから片付いて見えているところもある。人からもらったモノ、年中行事やイベント系のモノ、家を出た子どもたちが残していった荷物、いつか使うかもと取ってあるあらゆる雑貨・・・「整理する」という視点で見直すと、手をつけるべきものは大量にあった。
たとえば。。。

●衣類
移住先には着飾って出かけるようなおしゃれスポットはないし、移動もほぼクルマになる。それを前提に、着心地がよく、動きやすくて洗いやすい服を中心に選び、持っていくことにする。生地や柄がいいものはリメイク用に手元に残し、それ以外は処分した。
最後まで迷ったのは、母の格子柄のコートと父の革ジャケット。若い頃にデートでよく着たお気に入りで、ずっと捨てられずに保管していたものだ。状態はいいが形がもう古いし、それに驚くほど重い。これを着て写っている写真があることを確認し、両親は処分することを決めた。

●食器
夫婦ふたりの食卓に必要な分だけを厳選。長皿、お椀、カレー皿、グラタン皿、スープ皿、茶碗蒸しの器など、家族全員分そろっていたものも二組ずつを持っていくことに。母が結婚する時にデパートで祖母と買いそろえた食器はほとんどが国産で、まだまだ使えそうなものばかり。私もいくつか譲ってもらうことにした。
人を招くこともほとんど無いので、大皿は気に入ったものを数枚だけ。景品でもらったグラス、重くて使いづらいマグカップ、子どもたちが使っていた弁当箱と箸入れ、大量のプラスチックスプーン、蓋のなくなったタッパー、昔の魔法瓶などなど、使わないと判断したものはすべて処分した。

●行事もの
子どもの頃、毎年クリスマスにお菓子を入れてもらっていたブーツがあった。何年も使い回していたので、最後のほうはかなりくたびれていたのを覚えている。そのブーツを処分していいか、母がわざわざ電話で確認してきた。まだ取ってあったことに驚いたが、感謝の気持ちを伝えつつ、処分をお願いした。

祖父母が買ってくれた鯉のぼりと兜飾り、雛人形は、どれも大きく立派だった。孫のためにかなり上等なものを贈ってくれたのだろう。遊びに来た友人には羨ましがられたが、正直、家族の生活空間への侵食はかなりものだった。子どもたちが家を出てからも一部を出して飾ったりしていたが、これらの行事ものも整理することになった。
鯉のぼりは、庭に打ち込んでいた長い金属ポールを処分し、鯉は自治体へ寄付。たくさんの鯉が一斉に泳ぐ恒例イベントに、来年から我が家の子たちもお世話になることになった。雛人形はお内裏様とお雛様だけを持っていくことに。兜飾りは他のふたつに比べれば場所を取らないので、こちらはそのまま持っていくことにした。
どの飾りにも思い出があるので、心をこめて作業を行った。年中行事への考え方は人それぞれなので、我が家のやり方にも賛否両論あるだろうが、私たち家族としては納得いく整理ができたと思っている。

●写真
父と母が結婚する前のデート、新婚旅行、新車が来た日、子どもの誕生、七五三、運動会、そして、移住先の町への家族旅行・・・大量の写真はそのまま家族の歴史だ。大切なものだからこそ、この機会に整理して手に負える量にしておきたい。それが両親の考えだった。
カメラもフィルムも、現像した写真自体も、今とは違う特別な価値があった時代。家族が写っていればクオリティにかかわらずアルバムに貼るという考え方が当たり前で、当然量は増え続ける。人生を振り返るために必要な量を明らかに超えていた。

クリスマスブーツの処分には気を遣った母だったが、写真の整理はかなりドライに割り切って進めた。写りが良くない、大勢の中で小さくしか写っていない、見切れている、嫌いな人と一緒に写っている、見返しても何も感じない、そんな写真はすべて処分。同じような構図で何枚も撮りがちな家族の思い出写真は、まず母が一番気に入ったものを選び、その後に子どもたちが、自分の手元に残したいものをそれぞれ選んで引き取った。

両親の手元に残った写真は、新しいアルバムにコンパクトに収められ、移住先の家ではいつでも手に取れる場所に置かれた。

私も、引き取った写真を時系列に並べ、自分で保管していた写真とあわせてアルバムをつくった。「2才4ヶ月 庭のおそうじ」「3才 クリスマス」など、母が手書きした付箋も変色したまま貼り付けた。それは私の成長の記録そのものだった。


こうして振り返ってみると、さまざまなモノが、家族全員で暮らしていた時の量のまま残っていたことがわかる。そんな我が家は、移住というきっかけのおかげで驚くほど潔く、一気に断捨離することができた。モノを捨てるという行為に両親がさほど罪悪感を感じることなく、むしろ前向きな気持ちで取り組めたのも、第二の人生が希望に満ちていたからだろう。週末移住の楽しさも後押しになったのかもしれない。

家族みんなが元気なうちに思い出を振り返り、気持ちに区切りをつけながら自分たちの手で処分する。まさに理想的な断捨離の形だったと思う。両親は物理的にも心理的にも身軽になり、私たち子どもは実家の整理という重荷を背負わずに済んだ。いま思い返しても、天晴れと言うしかない。

移住に向けて動きだしてから、私たち家族にはいろいろなことが起きた。
実家のIT化親の覚醒物件探し挫折の日々、そして運命の空き家との出会い。状況が変わるたびに私は両親と向き合い、家族のしあわせについて考えることがとても増えた。

さて、引っ越し前の断捨離が済み、残る問題は父の仕事と自宅の処分だけとなった。
そのあたりの“終わらせ方”について、次回は書きます。



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