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いつか、その大好きだった気持ちを。
朝一番でスーパーに向かう道すがら、保育園の前を通りかかった時のこと。
お子さんを預けてこれから出勤すると思われるYシャツ姿のお父さんが、門から出てきた。大変だなあと思ったその時、かわいい大きな声が降ってきた。
「おとーさん、ばいば〜いっ!」
見ると、園の二階から坊やが一生懸命に叫んでいる。
「おとーさーん、ばいば〜いっ!」
「おしごと、がんばってねーっ!」
「おとうさーーんっ!」
最後は、ほぼ絶叫。笑
声がするたびに、お父さんは振り返っていた。
あんなことされたら、うれしいだろうなあ。
仕事、がんばっちゃうだろうなあ。
将来多少グレても、今日のこの記憶があれば愛情を持ち続けられるんだろうなあ。
「パパ」ではなく「お父さん」呼びなところも、またいい。
きっと家庭の中はおだやかで、夫婦の会話もやさしく愛情に満ちているのだろう。
思いがけず素敵な場面に立ち会えて、私までしあわせな気分になった。
そしてそれは、どこか懐かしい感情でもあった。
私が幼い頃、父親はよく遊んでくれた。
まだ週休二日が完全には定着していなかった時代。ゴロゴロしたい日もあっただろうに、一緒に遊ぶ時間をたくさんつくってくれていたのだと、今になってありがたく思う。
父は背が高く、そばに寄るといつも煙草の匂いがした。「お父さんは素敵なの」と母が呪文のように繰り返していたせいで、私もすっかりそう思いこんでいた。
父はふだんから口数が少なく、そのぶん何か話しかけてもらうとうれしくて、でも二人きりになると少しだけ緊張もして、威厳とやさしさのバランスがちょうどよかったように思う。
そんな父に、一度だけ怒られたことがある。
小学生の頃だったか、和室で昼寝をしている父の横を私が歩いて通ったのだが、その歩いた位置が父の腕すれすれで、なんだったら薄皮一枚踏むか踏まないかくらいの距離感で。いやたぶん、足の端で薄く踏んでいたのかもしれない。
父は急に上半身を起こし、「なんでそんなギリギリを歩くんだっ」と怒鳴った。
怒るというより、嘆いているような叫びだった。そしてまたすぐ昼寝に戻った。
ふだん穏やかな父が急に大きな声を出したので私はびっくりしたけれど、何事もなかったように寝ている父の顔をのぞきこんで安心し、特に謝ったりもしなかった。
父に怒られたのは、その時くらいだろうか。
新品のTシャツの値札を取ってあげようとして布地まで切ってしまった時も、
じゃれて思いきり引っぱったらズボンのポケットが裂けてしまった時も、
日焼けしてポロポロしてきた腕の皮を面白がって剥きすぎてしまった時も、
父は少し困ったような顔をしただけで、大丈夫だと笑っていた気がする。
あの頃、ちょこまかと自分にまとわりつく子どもたちを、父はどんなふうに感じていたのだろう。むき出し100%で注がれる「お父さん大好き」ビームを、鬱陶しく思うことはなかったか。自分だけの時間がほしいと思ったりはしなかったか。家族を食べさせなくてはいけないという現実に、逃げ出したくなる時はなかったか。
今それを聞いてみたところで、父はきっと、「どうだったかなあ」としか答えないだろう。でも今度、聞いてみよう。あの頃のことを私が覚えていることを、伝えよう。
ふとした時に思い出す幼い日のことは、特別な記念日よりも、平凡な日常の断片的な光景のほうが多い。親ははりきってあちこち連れて行くが、子どもは案外、なんでもない日常のどうでもいい瞬間のことを強烈に覚えていたりするものだ。そしてそれが、家族の記憶になる。
あの坊やもいつか、振り返りながら出勤していった父親の背中を懐かしく思い出すだろうか。
お父さんを大好きだった気持ちを、彼がずっと、覚えていますように。