お誕生日によせて~「大人になる」ことへの考察~

父親が51歳になった。別に世間一般からみたら大したことじゃないかもしれない。けど結構衝撃だった。そんなに年取ってたっけ。フルマラソンとか走ってるからなんかまだもっと若い気がしてた。51ってもう「おじいちゃん」の領域じゃん。(ごめん人によるから違うかも、けど自分はそう思ったんだよ。テレビとか観ててもやっぱ50代って明らか別の世代って感じがするんよな、なにがそんなに変わるのかはわかんないけど。)
と、ここまで考えて自分に戻る。そうか自分ももう成人してるのか。確かに成人した息子がいるなら51歳も妥当な気がする。というか自分もそんなに年を重ねてるのか、これはもっと衝撃。
「大人になる」って表現に自信がなくなった。大人になるのは何も絶対的なものではなくて、何かきっかけを通して相対的に気付くものなのかな、実家が帰るものじゃなくて行く場所になったり、髭を剃る頻度が増えたり、父親の誕生日を祝ったりして。
「あ、自分ももう大人なのかな」って思った時、いろんな感情が一気に襲ってきたけど一番は危機感だった気がする。勉強に甘えて大人への猶予を伸ばしてる自分への危機感。
けどじゃあ大学生って大人じゃないのかな、別にそんなこともないかも。したらそもそも何をもって大人なんだろうか。
と、父親の誕生日が自分の人生を再考するいい機会となってしまった。とりあえず父親にお酒でも送ってみようか、せっかくなら大人ぶって。

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