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「身体感覚」自分を知っているか?

己を知れば、百戦殆うからず -孫子

もしあなたの肩が、硬く辛い状態が続いたならば、普段よりも少し気が短くなったり、集中力が続かなかったりするだろう。

それと同じ事が、身体の至る所で起きている。
呼吸に関わる筋肉が硬くなると、息は浅くなり落ち着いた精神は保てない。血液内酸素量も低下し、常にボーッとする事になる。

生きていく上で必要十分な量のストレスでさえ、許容できる量をいとも簡単に超えてパンクしてしまう。

本来であれば、感覚的に「これ以上はまずい。」「嫌な感じがする。」と身体が無意識下で反応を示し、身体自身が自らの許容できる量を判断して、NOをかける。

「今日は少し頭が重いから、残業はやめて明日に持ち越そう。」こういった判断は、自らの身体の状況をわかっているからできる判断だ。これ以上やったら壊れてしまうのがわかっていれば、やる人はいないだろう。

問題は、この“あと少しで壊れる”とか“だるい”といった”カラダの異常”を感じることができないほどに、身体感覚が乏しい人が増えてきていることだ。

身体感覚とは、今身体が何を感じているかを察知する能力の事で、何も特別なことでは無い。足をひねればその後に足は腫れ上がり、歩くたびに痛みが出てくる。こうなれば、痛みが出ないように足をつかずに生活をして、故障した組織を休ませることができる。だが、もし痛みを感じないほど身体感覚が乏しかったらどうなるだろう。

捻挫していようがお構いなしに足に負担をかけ、修復する暇もなくどんどん負荷をかけられてやがて足の組織は完全に壊れる。痛みというフィードバックがない身体システムは、いとも簡単に崩壊してしまう。

そして、同じことがみんなの身体で起きている。コリや痛み・辛さと言った“身体の変化”に鈍感な人が増えているのだ。敏感な人は、それを顕在的に意識できているかどうかは別として、強いカラダをしている。なぜなら、消化し切れるストレスだけ、選別して得ているからだ。

これは自分を成長させてくれる刺激か。
これは今受けるべきじゃない刺激か。
適切なストレスを受けた生命体は、実に順調な成長を遂げる。草は花は置かれた環境から動けないからストレスを調整できないけれど、私たちはストレスを選り好みして、まるで食事のように取捨選択する事ができる。

身体感覚が鋭敏な方は自然とこう言った振る舞いができるのだ。そのため、最短距離で経験を積む事ができ、成長も早い。

ビジネススキルを磨くのもいい。英会話を学ぶのもいい。だが、もっと本質である土台の部分、自らの身体感覚を磨く事が、人間力というものだと僕は考える。
まずはその1つ目、自分に起きていることを、豊かに感じる力が必要だ。自身もリアルに感じる事ができないのに、人の気持ちにたつというのは困難だろう。

身体に起きている事、他人事になってない?


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