「第一夜 前日譚」
こんにちは。numaです。
本日は夏目漱石の「夢十夜」の中から、
第一夜のお話についての前日譚を書いてみました。
「夢十夜」という作品は、10編の夢が描かれた短編集です。
まずは、第一夜のあらすじを簡単に。
夢の中で、男が布団に横たわっています。
枕元には美しい女性が。彼女は、男に向かって「もう死にます」と伝えます。
続けて彼女は、死後の処理を男にお願いし、
「100年待ってください。きっと会いに行きますから」
と言って亡くなってしまいます。
男は遺体を土に埋め、墓のそばで、100年待ち続けようと座っていました。
なかなか100年は過ぎず、男が「騙された」と思っていると、
石の下から茎が伸びてきて、真っ白な百合の花を咲かせました。
「あ、もう100年経ったんだ」
というお話です。
一体どうして、男はこんな夢を見るに至ったのか?
考察含め、物語を書いてみたので、ぜひご一読ください。
「第一夜 前日譚」
夢は記憶の整理だという。
薄桃色に照らされた室内で熱い攻防戦が繰り広げられていた。攻め手はその熟練された技術を惜しみなく見せつけ、受け手はそれに真正面から立ち向かう。激しく動き続ける攻め手と、微動だにしない受け手。長い攻防戦を経て、先に降参を宣言したのは攻め手だった。
「ごめん! 一旦休憩! 疲れて死んじゃいそう」
受け手である俺の完全勝利。しかし、喜ばしい勝利ではなかった。時に敗北こそが本当の勝利となることがある。今日はまさしくその日であった。
「ほんとごめんなさい……どうしても元気にならないんです」
「こちらこそごめんね。私のテクニック不足だ」
「いや、全然そんなことはないんですけど……」
恥ずかしさと情けなさがまとわりついた、か細い振動が俺の声帯を揺らす。声はほとんど出ていなかった。
「どうします?そろそろ時間になっちゃうけど」
「あー……」
またこの台詞を聞くことになるなんて。今日こそは気持ちよく終わろうと意気込んでいたのに。
俺の機能が失われたのは今からちょうど1年前の夏だった。夏の魔法にかけられたカップルたちが乱立し、1年で最も激しい性が交わる季節。俺は5年付き合った彼女を職場の後輩に寝取られ、振られ、失意のどん底に沈んでいた。気付くと、性への自信をなくした俺の尊厳もすっかり元気を失い、全く反応しなくなってしまっていた。病院に通ったり、恥ずかしさを忍んで購入したサプリメントを飲んだりしてみたが全く効果が現れない。夜姫に奉仕してもらっても、今日のように受け手の完全勝利で終わってしまう。
「延長する?」
項垂れる俺に向かって姫がそう声をかけてきた。普段ならもう帰っていただろう。しかし今日は何を思ったか、俺は通常通りでない台詞を吐いた。
「もし延長したら、勃たせられますか?」
上から目線で挑発的な台詞。しかし声のトーンは助けを求める幼気な少年そのものだった。
「あ、すいません。失礼なこと言って。やっぱ帰ります。シャワー浴びましょう」
すぐに我に返り、ベッドから立ち上がろうとした。すると、浮きかけた俺の太ももにひんやりと冷たいものが触れた。見ると、白く美しい彼女の指先がそこにあった。
「アプローチ変えてみようか」
「え?」
「別のアプローチで、もう一回挑戦してみようよ」
「……勃たせてくれるってことですか?」
「うん」
彼女の真っ直ぐな瞳の奥に、何か希望の光のようなものが見えた気がした。もしかすると、今日という日が俺にとって忘れられない1日になるかもしれない。激しく湧き上がってきた期待感に突き動かされ、俺は口を開いた。
「ぜひ、お願いします」
彼女が指定した時間は100分。100分以内に必ず俺に男の尊厳を取り戻させると約束してくれた。100分間の延長料金を支払う。予定外の出費だが、もし本当に、一度倒されたボクサーがもう一度立ち上がる姿をセコンドの俺に見せてくれるのであれば、それは安いものだと思った。
「じゃあ、まずは……とりあえずパンツ履こうか」
「え?」
俺は彼女の指令に一瞬戸惑った。今からとんでもない秘技があそこに炸裂するのだと予測し全裸でスタンバイしていたが、どうやら違うらしい。俺は言われるがままボクサーパンツを足に通した。
「あそこを勃たせるにはね、骨盤底筋群っていう筋肉が大事なんだって」
「コツバン……は?」
「そこに立って。私の合図でスクワットしよう」
「え? スクワットですか?」
「はい、足を肩幅よりちょっと広めに開いて。手を頭の後ろに置いて、そのまま垂直に下がって。はい、いーち」
とんとん拍子に謎のトレーニングが始まった。言われるがまま、スクワットを続けていく。
「にー、さーん、よーん、ごー、ろーく……」
……いやなんだこれ? ちょっと待て。え? まさかこの人今骨盤底筋群鍛えようとしてる? いや嘘だろ? 別のアプローチ試すってそういうこと? 頭の中は疑問符に埋め尽くされていた。
「ななー、はーち、きゅー、じゅー……」
アプローチを変える、と言っても別の性技を試すという意味だと思っていた。しかし、アプローチを変えるとは、自身を夜の蝶からジムトレーナーに変身させるという意味だったのである。
スクワットはそのまま続き、15回を3セット行ったところで終了した。
「どんな感じ?」
「き、きついです……」
この台詞には最近運動していないことによる筋肉の衰えから来る身体的苦痛も含意されていたが、パンツ一丁の状態でスクワットしている姿を眺められている恥ずかしさから来る精神的苦痛がそれを上回っていた。
「じゃあ、次は……パンツ脱ごっか」
「あ、はい」
次はどんなトレーニングが俺を待っているのだろうと警戒したが、どうやらこれで終わりらしい。俺は即座にパンツを脱いだ。普通に考えれば、パンツを履いた状態と脱いだ状態では脱いだ状態の方が恥ずかしいはずなのだが、不思議と今の俺はパンツを履いていた今しがたの状態の方が明らかに恥ずかしかった。TPOとはまさしくこのことである。
「じゃあ、うつ伏せでベッドに寝転がって」
姫に言われるがまま、俺はうつ伏せで寝転がり、下半身にそびえる二つの山を彼女の方に向けた。
「肛門締めトレーニング行くよー」
「……トレーニング?」
「そうだよ。スクワットだけじゃ負荷弱すぎ。5秒間お尻の穴をキュッと絞めて、5秒間緩めるの。これを10セットやります」
前言撤回。やっぱりパンツを脱いだ今の状態の方が恥ずかしいです。そして夜の蝶に戻ったと思っていた彼女はまだ現役バリバリのジムトレーナーでした。
薄桃色の部屋の中に異様な光景が出現する。ホテルのオーナーもまさか出張トレーニング用に部屋を貸し出しているとは思っていないだろう。
「もっとしっかり絞めて!穴を完全にふさぐの!一本の針すらも通さないほどに!」
彼女の指導に熱が入り始めた。天は二物を与えるのか。まさか彼女にジムトレーナーとしての才能もあったなんて。叱咤激励されながら、俺は無事10セットを完遂した。
「よく頑張りました。これご褒美ね」
そう言うと彼女は大サイズの紙コップに入った謎の液体を手渡してきた。
「なんですかこれ?」
「プロテイン」
まじで何しにきたんだっけ、俺? こういった類のお店では絶対に聞くことがないであろう、プロテインという強烈な横文字を背後に感じながら、俺は紙コップの中身を一気飲みした。
「じゃあ、次は心理カウンセリングだね。私とお話しよう。パンツ履いていいよ」
彼女はそう言うと、バッグの中から眼鏡を取り出し顔にかけた。どうやら女医さんを演出してくれているらしい。俺はパンツを履いて彼女の隣に腰かけた。
「どうして勃たなくなっちゃったのか、きっかけは覚えてる?」
俺は自分の恋人が寝取られた話を詳細に語った。病院では恥ずかしくて話せないような内容まで事細かに説明できた。一緒に肛門締めトレーニングをした仲である俺たちの間には、もはや恥ずかしさなど無くなってしまっていたのであろう。あの謎のトレーニングは骨盤底筋群を鍛えるためのものであると同時に、俺に一旦強い羞恥心を与えることで恥ずかしさのボーダーを振り切らせ、緊張をほぐし、俺が話しやすくするための工程だったのかもしれない。その甲斐あってか俺の口はびっくりするくらいスラスラ動いていた。恋人への恨み、相手の男への妬み、自分の情けなさ、負の感情は全てさらけ出した。気付くと俺は30分以上話し続けていた。抑えていた気持ちが全て解放されたのだ。俺の話が落ち着いた段階で、姫は小さな小瓶を渡してきた。中にはまたしても謎の液体が入っている。
「これは?」
「亜鉛たっぷりのサプリメント。これ飲んだら、もう一回戦、挑戦してみようか」
俺と彼女の熱い攻防戦、第二ラウンドが始まった。彼女の激しい攻めは変わらず、俺の鉄壁とも言える守りも健在だ。膠着状態が続く。戦いの最中、俺の脳裏にはあの時の思い出が蘇っていた。サプライズで恋人の家を訪問したあの日。何の因果か、防犯意識の高かった彼女がその日に限って鍵を開けっぱなしにしていた。部屋に入ると、明らかに膨らみが大きい布団が目に入った。その後青ざめた彼女の顔が目に入っていたらまだマシだったかもしれないが、俺の目に映った彼女の表情はやけに落ち着いていて、浮気がバレたことなど気に留めていない様子だった。
最悪な思い出。忘れ去りたい過去。しかし、先ほどのカウンセリングで俺の記憶は再び取り戻され、頭の中はあの時の回想でいっぱいだった。憎たらしい男の顔。表情。体つき……。そういえば、あいつのあそこ、俺より小さかったな……。
そう思った瞬間、俺の下半身に強い衝撃が走った。電撃に打たれたような、長く眠っていたものが目覚めるような、そんな不思議な感覚だった。
目の前に立ち塞がっていた分厚い石の壁に向かって、一本の茎が力強く伸びる。茎は石の壁に到達すると、それを物ともしないように前へ前へと突き進んでいる。結果的にその茎は石の壁を破壊し、それでも前に突き進んだ。そしてある瞬間に達し、茎は真っ白な百合の花を咲かせたのだ。
家に到着した俺はそのまま部屋のベッドに倒れ込んだ。疲労で全く力が入らない。しかしそれとともに大きな満足感も感じていた。今日という日が俺にとって忘れられない1日になるかもしれない。この予想はぴったりと当たった。彼女の瞳の奥に見えた希望の光は、本当に希望の光だった。
大きく深呼吸しながら瞼を閉じる。今日はどんな夢を見るのだろう。そんなことを考えながら、俺は深い闇の中に落ちていった。
第一夜に続く……。
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