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健康維持するためには、「患者化」しないことが重要

こんにちは、Sonnyです。
今回は、年を重ねても極力元気でいるために重要だと思うこと、医療現場でいわゆる患者さんと接している自分なりの視点で解説します。

今回のポイントは、”患者化”。この言葉は、特に一般的に広まっているようなものではなく個人的にぼんやりと持っているイメージです。この記事で出している”患者化”は、怪我や病気を「患っている人」ということではありません。

皆さんは、「健康」という言葉の定義をご存知でしょうか。世界保健機関憲章では以下のように健康を定義しています。

健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または虚弱の存在しないことではない。

世界保健機関憲章

健康というのは、怪我の有無や病気の有無だけでは決められないんですね。これは、実際の臨床で多くの人たちと接していると肌感覚として感じられるものです。

不運にも怪我をしてしまった人たちは落ち込みます。当然です。いきなり痛みや不自由に苛まれることになるし、予定していた楽しみをキャンセルせざるをないんですから。

問題はこの後です。一時は落ち込みながらもそこから適切に回復して社会復帰していくこともあれば、なかなか苦しみから解放されない人もいる。この境界にあるポイントをぼくが勝手に”患者化”と呼んでいるんですね。

そこで、この記事の本題では、どんな人がこの境界線を超えてしまうのかを実際の経験から解説します。今回、解説するポイントを押さえるだけでも過度に苦しむことを避けることができると思います。

※この記事で「患者」という言葉も使いますが、病院を受診している人たちを全体のことを指した言葉であり、「患者化」とは明確に区別した上で読み進めてくださいね。


♦︎仕事をスパッとやめてしまった人

患者さんの対応において、主訴(今感じているメインの症状や問題)がどんな時系列で変化してきたのか、どんなきっかけがあったのかを問診で聞き出すことは医療従事者としての基本になります。

その時にしばしば聞かれるのは、「仕事を辞めてから一気に来たんですよね」という回答です。日々、業務に打ち込んでいた人がいきなり仕事をやめると、張り合いだったり目的がなくなってしまうのか、身体が一気に弱ることがあるんですね。

また、仕事をしていないと早く治したいという動機が働かないこともあります。さらには不自由にしてれば、周りの人も気にかけてくれるし、言葉を選ばずにいうと、「弱っていた方が得」みたいな状態になることもないことはない。

ここまでの状態に陥ってしまうと、なかなか患者さんの行動変容を促すことが難しくなります(ちなみに、このような方々には援助の頻度の最小限するという対応をします。能力を適切に把握して、できることには手を貸さないようにすることで、弱っていること自体がインセンティブにならないようにすることが必要です)。

また、仕事を辞めて暇になったから通院しているという人もいます。最初は、時間もできたし気軽に確認してもらおうという感じなのでしょう。この行動については別に構わないと思っています。現状確認する程度で利用して、これからの生活習慣の是正に役立てもらえるなら、むしろとてもいいことだと思う思います。

しかし、そこに潜む罠もあるんです。

♦︎現実を知ってしまったことによる弊害

受診して検査を受け、今の現状をすることは、実はメリットもデメリットもあります。

まずは、メリットから。先にも触れたように仮にその時点で特に問題がなくても現状を適切に認識して、以降の生活習慣改善に役立てるというのはとても素晴らしいと思います。自分自身が身体のトラブルを抱える可能性を減らすことができるし、未然にトラブルを防ぐことができればかかるはずだった医療費を押さえることにもなるからです。

もう一つあげるなら、「安心感」を得ることです。例えば、自宅のベットで朝目を覚ました時、全身の痛みで布団から出ることができなかったとしたら、どんな感情になりますか?

いきなり謎の痛みが出てきたらかなり不安になりますよね。この謎の不安というのは人間の心理にはかなりの重荷になります。一方で、前日にかなりハードに、しかも久しぶりにスポーツを楽しんでいたとしたらどうでしょうか。「あぁ、筋肉痛がひどいな」と自分に理由をつけることができるし、なんなら「翌日に来たぞ、まだ若いな」なんて少し嬉しい気持ちになるかもしれません。

このように、痛みや不調というのは理由が明確にわかると、気持ち的にも痛みの苦痛から解放されやすくなります。これが痛みの程度が変わるわけでもないのに、です。これが現状を認識することができるメリットです。

では、デメリットにはどんなものがあるのか。それは、現状を医師から知らされることで恐怖が増し、逆に日常生活の活動に大きな阻害を与え、自己破壊的な行動に走ってしまうようになることです。

このような事例も度々経験します。もしあなたが、「なんか腰が痛いなぁ」思い、気軽に診察を受けて、医師からレントゲンとMRIを勧められ実際にとったとします。その結果、「ヘルニアがありますね」という診断結果が出た時どうのように思いますか?

仮にヘルニアという知識が全くない状態でこの診断を受けた場合、よくわからない未知の何者かが自分の腰の中に存在しているとくらいの勢いで恐怖感に襲われ、今までは稀に痛いことがあるっていう程度で普通に生活していたので、急の腰に爆弾を抱えたかの如く動作がおぼつかなくなり、腰の痛みも増悪します。

そして、身体に悪影響を及ぼすほどに過度な安静と回避行動を起こすようになります。

ヘルニアのことを知りたい人は過去にスタエフで解説したことがあるので、こちらを参照してみてください。

ちなみに、ヘルニアは痛みがなくても一定程度の年齢の人間をランダムに集めてきて一斉にMRIを撮ってみると、それなりの数がヘルニアと診断されるような腰をしている人はたくさんいると言われています。

極端な話、確かにヘルニアが直接的に痛みや痺れを引き起こしていることもありますが、多少ヘルニアがあるからといってそれがかなず痛みの原因になるわけでもありませんし、腰の痛みがあるかとって画像で写っているものが原因であるとも限らないんですね。

♦︎現状を適切に需要・認識ができない

ぼく個人的には、医療費を人に対する投資というふうに考えると、現役世代に医療費を使った方が、その後仕事をして賃金を稼ぎ、税金を納め、消費行動を行うので、費用対効果は高いと思っています。

しかし、自身の職場や業務に一定の不満を持っていると、怪我や病気をしたことは不運であったとしても、それを仕事を休む理由に使ってしまうことがあります。これも”患者化”の一つでしょう。

当然、仕事復帰にあたり怪我や病気があれば十分にできないこともあるし、出勤することで悪化を招くことがあるため、やたらめったらに出勤すればいいとは思いません。適切に身体や心を休めることはとても重要です。

しかし、医師から出勤許可が出ており、リハの担当とも復帰を共通の目標に定めているにもかかわらず、何かに理由をつけて出勤しないようにしたり、逃避的な行動や、恐怖回避モデル問われるようなパターンに陥ったりすることもあります。

これまで述べてきたように、怪我や病気を患っただけでは不健康だというわけではありません。確かに、怪我や病気に見舞われてしまったことは大変でし、落ち込むこともあります。それでもそこから回復するかどうかは自分次第なところもあります。

怪我や病気があっても健康であること、そして適切に周囲の人や医療従事者の助けを借りながら、その時なりの健全な状態でいることが結果的に回復を早めることになるし、より良い状態を保つことができると考えています。


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