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本の送料と、お金が取り戻したかもしれないもの

書店だから苦しいのか

いわゆる出版業界の中で、書店はいちばん苦しんでいると思われやすい立場にある。利益率が2割しかないというのも、よく知られる。

たしかに、利益率だけでいえば、書店のほうが出版社より、たいていの場合は低い。

けれど、たとえば、ある一冊の本がこの世界に存在するためのリスクを抱えているのは出版社だ。そのことは利益率だけを見てもわからない。

ここに初刷7000部の本があるとする。定価は1000円。書店の仕入値は800円、取次の仕入れ値=出版社からの卸値は700円、印刷とか印税とかデザインとかいろんな原価が400円だとする。

原価4割の商品に対して、書店に2割、取次に1割、出版社に3割の利益がある。たしかに出版社がいちばん儲かるように見える。

けれどそれは、すべて売り切ったときの話だ。出版社はまず最初に、280万円(=400円×7000部)のリスクを負う。

出版社は、この本が4000部(=280万円÷700円)売れるまでの間、ずっと赤字を抱えている。実際はいろんな経費もかかっているから、4000部では済まない。ある線を越えたときにはじめて、やっと原価が回収できる。そこから先が利益になる。

この本がその線までたどり着かず、たとえば3000部しか売れずに止まってしまうと、出版社は70万円もの赤字(=700円×3000部-280万円)と4000部もの在庫を抱えることになる。

けれどその本は、出版社が70万円の赤字を抱えたおかげで、この世界に存在することができた。3000人の読者がそれを楽しんだ。このとき全国の書店は、合計で3000部ぶんの利益を得ている(※1)。

そんなの当然だ。もちろん知っている。そういう人も多いと思う。けれど、少なくともぼくは、自分で出版社をやるまで、わかったつもりで、具体的に想像を巡らせたことはなかった。初期投資と在庫リスクを抱える苦しさについて、まるで知らなかった。

当然、だから出版社のほうが苦しいのだ、と言いたいわけではない。

ただ、ものの流れのいちばん最後の場所にいるからといって、書店がいちばん苦しんでいるとは限らない。出版社も書店も、大小さまざまで、事情はそれぞれに違う。言いたいのはまず、ただそれだけのことだ。

そして、とくにこのような状況下では、事情はさらに、まちまちであるはずだ。

たとえば、どれだけ調子がよいと知られた出版社だったとしても、もしこのタイミングで自社の命運をかけた大出版企画を仕掛けていたとしたら、一転して倒産の危機にあるかもしれない。

簡単にそうなってしまうくらいのことが、いま起こっている。ほとんどすべての人にとって、想像できていなかった出来事だ。

書店だから、取次だから、出版社だから苦しいのではない。少なくともいまは、そのように一言でいえるような状態ではないと、ぼくは思う。

苦しい書店と、苦しい取次と、苦しい出版社が、それぞれにある。中には、この状況下にしては比較的ましな書店も、ましな取次も、ましな出版社も、きっとある。

自分は出版業界のことしかわからないが、きっとこれは、どのような業界にもいえることだ。

むしろ、それぞれの声が聞こえやすいいまこそ、それぞれの取引先に対する敬意と想像力を持てるときだ、と思っている。

誰が送料を殺したのか

ある出版社が、オンラインストアを立ち上げた。しばらく、送料は無料にするという。

そのことについて、ある書店が不満の声を上げた。

前述のように、書店の利益率は低い。もし書店がオンラインストアの送料を無料にしようとすると、赤字になってしまう。

一方の出版社は、ふだんならば取次と書店の取り分となる部分も、直販ならばすべて自社に入るから、送料を無料にしても成り立つ。

もしこれが、小売りと卸とメーカーとの関係性が、契約あるいは商習慣上、がっちりと決まっていて例外のない業界であれば、書店の訴えはわからなくもない。けれど書店と取次と出版社の関係は、少なくともいまは実際、そこまでのものではない(※2)。

そもそも、出版社に直営のオンラインストアがありその送料が無料であることなど、このような事態になるより以前から、たくさん例があった。

だからぼくはいち書店として、この出版社を責める気には、まったくならない。むしろ、苦境に立たされているほかの出版社がそれを見て、萎縮しないといいなと思う。そして同時に、責める相手が違うはずだとも思う。

責めるのだとすればその相手は、「送料無料」という概念をインターネット上に広めた、巨大なプラットフォームではないだろうか。

送料は無料ではない

その巨大なプラットフォームは、絶大な販売力を持っている。絶大な販売力があるから、当然仕入の掛け率の交渉はしやすく、本に限らずあらゆるものを、ほかのどこよりも安く仕入れられる。

オンラインでものを売るということは、誰かがそれを運ぶということだ。その運ぶ対価のことを、送料という。

その巨大なプラットフォームは、顧客第一主義を掲げている。よって、本来、注文した客の側が払うべきその対価を、安く仕入れて得た利益を削ることで、客に還元している。

「送料無料」とは、この顧客サービスのことだ。

つまり送料は無料ではない。どんな場合も必ず、どこかで誰かが、送料を払っている。

これも当たり前すぎる話だ。馬鹿にするな、と思う人もいるかもしれない。

けれど少なくともぼくは、「送料無料」という概念がインターネット上で当たり前になっていることの問題点について、バリューブックスという会社に入るまで、深く考えたことはなかった。

送料を有料にした話

バリューブックスはあるとき、同業他社、すべてのサイトが「送料無料」を売りに買取をしている中で、メインのサイトである「VALUE BOOKS」の買取時の送料を、無料から有料にした。

古本は、買取価格と販売価格の差額が利益になる。市場価格が低く、需要も低いような商品は当然、買取価格が低い。そもそも値段がつけられず、買い取れない本もたくさんある。

それでも本が集まらないとビジネスにならない。よって、「送料無料」ですから、まずはとにかく送ってください、というメッセージを発することになる。

すると届くのは、もちろん買取価格のつく本だけではない。買取価格をつけられない本も、たくさん送られてくる。

しかし、買取価格のつく本がたくさん詰まった箱も、すべて買い取れない本だけが詰まった箱も、同じ大きさのダンボールに本が詰まっていれば、送料は一律、同じだけかかる。もちろん会社が負担している。

そして会社は利益を出さなければならない。すると決算書をみたときに、後者の箱の赤字は、前者の箱の黒字で埋められていることになる。

つまり、もし「送料無料」をやめて、いったん客の側に送料を負担してもらえれば、後者の箱を送った人は送料ぶんだけ損をするが、会社側にその負担がないぶん、前者の箱を送った人に対して、より高い買取価格という形で還元ができることになる。

そうして、バリューブックスは送料を有料にして、同時に、買取価格を1.5倍にすることにした。送料をブラックボックスの外に出したことで、前者の、買取価格のつく本を送ってくれる客のほうが得をする仕組みになったというわけだ。

しかし、ただでさえ分かりにくいこの話が、仮にロジックとしてはわかったとしても、「送料無料」に慣れていると、実際には心理的な抵抗がある。

最初に送料を払うところで、「送料無料」の他社サービスと比べてどうしても、損をしたような気持ちになってしまうのだ。

結果このとき、バリューブックスの利用者は半分になった。

「送料無料」の影響は、こうしたところに根深く表れている。

出版社と書店のオンラインストアは

とはいえ、ぼくはその巨大なプラットフォームのことさえ、真正面から責める気にはならない。それもまた戦略のひとつであり、顧客第一というコンセプトは、商売のど真ん中にあって然るべきものだ。

話を戻すと、ぼくは出版社のオンラインストアは「送料無料」であって良いと思う。

それは、その巨大プラットフォームと比べて、少しでも負けるポイントを減らそうとしているだけだからだ。あれだけ便利なあちらが「送料無料」なのだから、お客さんのほうを向いたら、そう考えるのは自然なことだ。

そこにブラックボックスはない。ただ、ふだんより少し多く得られる利益率のぶんを、お客さんに還元しているだけだ。

出版社がそのようにした結果、いま本の面白さにあらためて気づいたり、特定の出版社に対してファンとしての意識を持つ人が増えれば、まわりまわって書店にだってかえってくる。

大事なのは、ぼくたちひとりひとりが送料への想像力を失わないことだと思う。誰かがそれを運ぶかぎり、送料は有料だということ。使っているサービスの送料が無料であったとしても、そこには必ず送料の源泉があり、運ぶ人がいるということを、ただ忘れないでいればいいし、そのことを伝え続ければいい。

一方の書店がオンラインストアをやろうというなら、最初から送料で競うことはあきらめるほうが得策だと感じる。出版社が「送料無料」にしようがするまいが、どうせ「送料無料」の巨大プラットフォームは存在し続ける。

どうしても「送料無料」にするのであれば、2万円以上で、3万円以上で、と強気の設定をすればいい。

もちろん、並べるものはできるだけ、利益率がよいもののほうがよい。直取引のリトルプレスやZINEはもちろん、小さな出版社であっても、直取引で買切で一定数取ってくれるなら6掛とか、思い切った条件で出してくれるところも結構ある(NUMABOOKSは20冊以上でそうしている)。どうせ並べられる商品の数は限られているのだから、決まったものをたくさん売るために頑張るほうがいい。仲間意識も出たりして楽しい。

あとは、書店ならではできることを考えるしかない。たとえば出版社と違って、書店のオンラインストアではあらゆる出版社の本を扱える。もとは北海道の「いわた書店」がはじめて、いまはいろんな書店のオンラインストアがやっているような、複数冊の本を読者のために選ぶようなサービスは、自社の刊行本しか扱えない出版社と比べて、書店にアドバンテージがある。本の代金だけでやる必要もない。選書料を払ってでも頼んでみたいという人は、書店側が思っているよりずっと多いのではないかと思う。

そもそも、たくさんのタイトルを1冊ずつ扱うような書店で、オンラインストアにひとつずつ商品を並べるのは大変だ。本屋B&Bのオンラインストアは最初はデジタルに舵を切ったが、リアルの通販も、とても原始的なやり方で小さくスタートしている。

店内の360°写真をたくさん掲載し、それをバーチャルショップと言い切って、金額のチケットを売るという方法をいち早く実践した「Cat's Meow Books」のやり方を真似するのもよいと思う。

(4月20日0時追記)本棚の動画を撮影してシェアする、という「古本 りんてん舎」さんのやり方も、シンプルだけれどとってもいい。これが一番、本屋で本棚を眺めている感じに近いかもしれない。

また、ぼくたちがやっているPDFを直売するという方法は、そもそも送料がかからない。出版社はすぐにでもできるはずだし、書店ですぐに仕入れられるものをつくってくれている人もいる。

お金が取り戻したかもしれないもの

とはいえ、出版社も書店も、いきなりオンラインストアをはじめたところで、それで生き延びていくのは相当に難しい。はじめたところはすでに痛感しているはずだ。

けれど、長い目で見れば、希望はないわけではない、とも思う。

明らかに、人は値段だけではものを買わなくなってきている。とくにこの状況下で、その傾向はより顕著になったと感じる。何にお金を使うのか、自分のつかったお金が誰に届くのかということに、いまほどみなが関心をもっている世界は、これまで見たことがなかった。

あちらとこちらのオンラインストアで、まったく同じものが売っている。あちらのほうが便利だし、値段も安い。けれどこちらが好きだから、こちらで買う。そういう人がいま、急に増えていると感じているのは、ぼくだけだろうか。

コミュニケーションの道具である、という元来の性質を、お金の側が取り戻しつつあるのかもしれない、というような感じがしている。ちょうど、インドの空がきれいになったみたいに。

「お花畑だ」と揶揄されるかもしれない。けれどそれが希望だ。

取引先に対しては、敬意と想像力をもって。あとは、それぞれの持ち場で。自分たちのほうを向いてくれるお客さんの顔を思い浮かべて、できることをやる。

そうしていれば必ず報われる、とは残念だけど思えない。けれどそうするしかないし、そうするのはきっといいはずだ、とはけっこう思っている。




(4月20日1時追記)
※1 この例はあくまで、出版社には初期投資と、掛け率にはあらわれない回収までのリスクがあるということを説明するためのものだ。
数字も計算しやすいように単純化していて、もちろんどんな本かによるけれども、ぼくの感覚からいうと7000部はだいぶ多いし、定価1000円はずいぶん安いし、原価4割はややかけすぎである(が、ついかけてしまうのもわかる)。
もちろん実際は、ある時点で出版社が出荷したものがすべて実際に書店の店頭で実売していてかつ注文はぴったり来ないということは起こり得ず、書店に店頭在庫として残っているぶんは読者には届かないし、書店の利益にもならない。
また当然、厳密にいえば出版社だけがリスクを背負っているわけではなく、書店も仕入れる段階で在庫を背負っているし、取次から入荷して返品できるものであっても一定期間が経過すれば帳簿上の在庫を抱えているのは書店であり(1か月のサイクルの中で返品すれば入荷と相殺される)、買切であれば当然売れるまでの在庫リスクは書店が持ち続ける(買切6掛であっても10冊仕入れれば7冊目を売るまで利益にならない)。
ただし、帳簿上は同じ本の在庫であっても、出版社の在庫と書店の在庫では性質が違う。同じタイトルが大量にある出版社の在庫と比べて、さまざまなタイトルが少量ずつある書店の在庫のほうが、二次流通時の価値は高くなりやすく、換金できないリスクは相対的に低い(ここは違う考えの人もいるだろうと思う。ぼくの場合は、自分の会社ではどちらかといえば出版社の在庫のほうが嫌だという実感や、バリューブックスでは同じタイトルの本を10冊以上は買い取らないという事実などに基づいてそう感じている)。

※2 ここも異論がある人がいるかもしれない。取次流通を前提とした書店と出版社との関係は商習慣上、長らくきっちりとしたものだったはずで、出版社が直販すること、ましてや書店よりも好条件(この場合は送料無料)で出すことなど許されないという空気はたしかにあったはずだし、いまもその空気の中にいる人もいるだろうとは思う。けれどもちろん、もはやそのような商習慣を大事に守るべき時代でない(と少なくともぼくは考える)。
(4月20日10時追記)いや、商習慣を大事に守るべき時代ではない、というのもまた、語弊があるかもしれない。この箇所は、一部の書店側のふるまいをみて傷ついているかもしれない、巨大プラットフォーム対策としてもともと直営のオンラインストアをやっていた出版社や、苦境に立たされていま立ち上げを検討している出版社のことを頭に思い浮かべながら書いた。書店のことを思って直販という選択肢を一切取ってこなかった出版社のことや、いまこそ助け合うべく書店に対して何かしよう、よい条件を出そうと動く出版社のことを否定する意図はもちろん毛頭なく、自発的に生まれるそうした個別の動きは、書店にとって大変ありがたいものだ。
このように書いたのには、どんな判断も個別で自発的なものであってほしいし、いまはそれぞれの判断がそれぞれ尊いということ、出版社と書店、あるいは出版社同士や書店同士が、いまこんなところで互いの姿を見て足を引っ張り合ったりするときではないはずだということが、背景にある。うっかり熱くなってしまったのはただ、見たくないものを見てしまっただけなのかもしれない。

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