連続ブログ小説「南無さん」第十五話
日本中で日中の最高気温が40度を超えたというその日。誰もが外出を控え冷房機器の恩恵に預かっている中、容赦なく熱線の照り付けるアスファルトの上で己が身を焦がしていた者がいる。
南無さんである。
尋常の人間であればこの暑さで往来を歩くにも薄着を纏っているはずだが、南無さんにその認識は通用しない。
とはいえ、これは南無さんの思慮分別の能力が常人より劣っていることを意味するわけではない。南無さんはインテリゲンチアである。だいたい、やれ異常気象だなんだと世間は騒ぎ立てているが、己の知識や経験を基準にして物事を異常と断ずること自体に疑問を持つべきだ、などと南無さんは考えていた。なんのことはない、世間の”常”に照らしたときに己が異常であれば気象などは至って正常である。色即是空、空即是色。万物は流転する。異常なことなど世に無い。正常気象だ!
そういう思いを巡らせながら、自宅の縁側で汗を流しつつ使い古したオナホールに己のヒートアイランドを現出せしめた時、南無さんははたと気が付いたのである。
正常位とはなんぞやと。
南無さんは仏教徒である。彼はキリスト教的価値観から発せられた「正常」という語に強く反発を覚えた。逆に敬虔なキリスト教徒からすれば日ごろから生殖ならざる射精を繰り返している南無さんなどは異端の極み、アークエネミーであるが、悪魔の象徴としてよく描かれる山羊頭のバフォメットの瞳が正面からみたときの怒張の尿道口の形にそっくりであることを知っていた南無さんには、なんら気後れするところはなかった。インテリはここがちがう。
しかして南無さんは正常位の正常ならざることを証明すべく灼熱の娑婆へと繰り出したのである。
この炎天下、さすがに往来には人の姿はない。
そんな中にも、彼の慧眼は見逃さなかった。
人気なく陽炎の立つばかりなる道路にも、れっきとした穴はある。
マンホールである。
彼は風神ステップで己の灼熱棒をマンホールに突き立てた。ディレイはない。先走ったカウパーがマンホールのマンの部分に接触し、ジュ…と音を立てて蒸発する。アッ!と大きな声が喉奥から絞り出されるが、それは絶頂ゆえではない。ホールに入らないのである。彼の怒張はその大きさの余りマンとマンに塞き止められ、その間隙のホールになんとか顔を覗かせたのは、彼のバフォメットの瞳のみであった。
しかし南無さんは慌てることなく読経を始めると、その朗々たる響きに呼応するように怒張は張となり、張は弛となり、すっかり弛緩して線香花火の先端のようになった陰茎を、ホールへと導いた。あれほど頑なであったマンも道を開け、抵抗なくその花火を受け入れた。
常ならざる者が常ならざる体位を取れば、打ち消し合って正常位となる。
マイナスの計算を夜間中学で学んでいた南無さんにとっては児戯に等しい証明であった。
しかし、彼がしたりと意識した瞬間に、ホールの内側で線香花火が点火した。勃起してしまったのである。
彼の口から先ほどよりも一段と大きな声が漏れ出る。一度点火された花火は燃え尽きるまで火花を散らし続けるものである。
身を焼くほどのマンに挟まれて充血した彼のバフォメットは抜くこと叶わず、押すことも叶わず、ただホールの奥から南無さんの絶叫がこだまするので、その反響が亀頭を刺激して、今にも最後を迎える線香花火が如く真っ赤に燃え上がっていた。
南無さんは激痛の中にも、細い糸を手繰るように微かな快を得た。その異常なほどに膨張した亀頭。こらえきれない声が喉を突き、南無さんの叫びは町内に響き渡った。人はこれを異常と言うかもしれない。しかし灼熱の太陽が照り付ける南無さんの尻側が陽だとすれば、マンホールの内は陰の世界である。マイナスの中のマイナスは――
やがて到着した消防隊の手によってマンは切開され、南無さんは一時警察車両へと身を移した。下腹部に中度の熱傷を負いながらも南無さんは「私は正常です」と訴えたが、一連の異常さから重度の熱中症による錯乱であると判断されたため、すぐに救急車に乗り換えることとなった。
彼が彼なりの正常位から落とした散り菊が、陰の世界を一瞬だけ照らした。