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諏訪部佐代子VIVA滞在日記⑦たいけん美じゅつ場の場所性

あと二日で展示が終わる。また同時に突如滞在制作を切り上げることとなり、今後のプロジェクトの方向性を個人的に振り返る機会となった。それと同時に、自分たちが毎日のようにやっていたトークもじっくり振り返ってみた。今日は田村かのこさんとのトーク。心から楽しみ!!


取手駅西口を出て、アトレへ入る。エスカレーターを上るとすぐそこにあるたいけん美じゅつ場VIVA。この場所を再解釈してみたい。


VIVAフォーラム

さて、本日(2021/8/15)たいけん美じゅつ場VIVAのフォーラムのアーカイブを拝見した。3月に行われたVIVAのこれまでの活動をさまざまな立場のかたが紹介するお話会のようなフォーラム。

→https://www.viva-toride.com/news/53

よくお話しするとりばァさん、またVIVAのスタッフさんを含め、皆さんの顔を初めて見たような気がする。いや、実際は初めてではないのかもしれないけれども、コロナ禍から始まったこの「ノット・フォー・セール」プロジェクト、みんなずっとマスク越しに話していたことに気づいた。当然と言えば当然だけれども。

正直この映像をもっと早く見ておけば良かったという気持ちになった。今までまだおぼろげにしかVIVAというスペースを理解していなかったような感覚があったからだ。VIVAを始めた人たち、またそのコマを毎日毎日回していく人たち。その方々から発される言葉は非常に多彩で面白かった。

「○○ができるアートセンター」というタイトルで進んでいく対話、さまざま異なるお立場の方から発されるアートセンターとして期待する役割や見たい景色の話。ぜひ皆さんにも見ていただけたら。

そもそもアートセンターとは何なのだろう。私の中でアートセンターの印象というと、日本のものというよりオーストラリアの先住民アーティストたちを結ぶもののイメージが強い。砂漠中に散らばっているたくさんの集落、部族たちが描く絵画を集め紹介したり、作家と来訪者のコミュニケーションの場所をつくったり。私が2017年滞在した場所は版画の刷り機やコンピューターなどがあり、かなりコンテンポラリーな表現も可能な場所だった。そこにコーディネーターがいて、彼らの作る作品に値段をつけたりテキストを起こしたりしていた。率直に言うとそこにはポジティブな印象だけでなくネガティブな印象もあり、そこに滞在中のアーティストが作り出した出来立てホヤホヤの絵を見て「これは売れないわね」と辛辣な言葉を言っていたコーディネーターが忘れられない。日本人がくることは滅多にないらしく、樹皮画に使う樹皮を見せてくれたりしたインディジネスアーティストの彼とは今でもメッセージをやり取りする。

それが私の中のアートセンターのイメージ。日本のアートセンターが「していること」をはっきりと認識できたことは今までなかったかもしれない。

この場所は公園のようだ。私たちが滞在制作を始める際も、明確なルールは設けられなかった。自由とは不自由なもので、なんでもできると言われると余計困難に感じられる。VIVA AWARDに採択していただいて最初のミーティングで、一番最初に私がディレクターの森さんに問うた質問は「私たちに期待していることはなんですか?」だった。私は勝手に何かを自分の行動に期待されるのが苦手だ。この場所に私たちを置いていただくことに、我々がこの先起こす行動に、何か形のない期待などされたらたまらないと思い尋ねた質問。しかも40万円なんて重さがついてきている。

その返答は「MoMAに展示されるアーティストになってもらうこと」だった。明快で心地よくちょうど良い重さだった。


滞在制作

このフォーラムの映像を見て、5月から3ヶ月間滞在制作をさせていただいたことが、私たちがいたことが、少しでも皆さんの見たかった景色に貢献できていれば良いなと感じ得た。

私は個人的に、「何かに所属しなくてはいけない」「居場所が一つしかない」世界への恐れを抱いている。これは単なるモラトリアムの話ではなく...それは学校かもしれないし職場かもしれないし家族かもしれないし社会かもしれない。人間は社会的な生き物である以上は、関係性という鎖から逃れることはできないが、それは時折重荷になる。居場所が一つしかない世界は、一つの立場へ依存することは、とても幸せなことでもあるかもしれない一方、その世界を失った時の喪失感は甚大だ。

日本はその傾向がさらに強いように感覚する。日本の名刺文化、肩書きや学歴重視の文化。もちろんそれに含まれる価値も無視はできないけれど。「ママはね〜」「お兄ちゃんは」など、私やあなた、名前ではなく社会的な立場でその人のことを呼称することなどにもそれが見える。先日コロナウイルスのワクチン摂取の予約をする際、私は何に所属する何者なのだろう?という気持ちがさらに強くなった。休学中の学生?千葉市に住所のある松戸市在住者?フリーター?…アーティスト?

VIVAは、ある意味でそのポジティブな逃げ場、サードプレイスとして機能しているように思う。尼寺ではないが、みんながただの人間になる空間。年齢や立場の垣根を超えて、あなたが何をするのか?したいのか?それを共有する空間。余計なポーズや肩肘を張る必要はなく、行きたくなければ来なくても良い。

それが最初の頃に抱いていた所感である。さて我々はそのサードプレイスでの時間をある意味セカンドプレイス(職場)のように過ごした。毎日片道308円(休学中なので定期が作れない…)、40分をかけて朝10時に到着し、20時もしくは21時まで滞在する。朝3Dプリンターを動かし、昼は書類仕事や展示のプランをし(正直今回はこの仕事が思ったよりも多かった)、たまに内職して夜まで人と話したり絵を描く。ぬる子のすみか用に粘土を練る日もあるし、休学届を書く日もあれば、たまに大きなトークイベントを企画することも。交換留学ができなくなった今、トリばァさんやお客さんに人生相談をする日もあった。今もまだ答えは見つかっていないけれど…noteは忙しくて投稿する時間はなかったが下書きが溜まっているのでこれから時間を見つけて投稿していきたい。

私が公共空間(public)の生き物なのか、私的空間(private)の生き物なのか、その境目がギリギリ曖昧になってきたところで滞在制作は終わりを迎える。


VIVAの時間

振り返ってみると、やはりVIVAには大きく季節感だったり時間を感じるものがないから、時計やカレンダーとは別の形で何か時間の流れを感じさせるものがあると良いなと感じさせられた。自作の中で展示空間でずっと酸を使って大理石を溶かしていたことがあったけれども、アーカイブとして機能する空間に悪影響を及ぼさない形で変容していく景色を演出していくような展示ができたら良いなと思った。正直季節感がなさすぎて気が狂いそうになるタイミングが何度かあった。セロトニン不足?

この展示の中でそう言った季節感や時間の経過を感じさせるモチーフとしては、プロジェクターをカバーするのに使った黒い画用紙が挙げられるような気がする。擬似太陽が毎日じりじりと10時から20時の間焼いていった紙、10時間(実際は21時までの日もあったのでこれより少し多い)×25日間、訳250時間もの間利根川の映像を映し続けたスクリーン。

滞在することを考えると毎日の記憶が全て同じ風景である一方、そこで出会ったもの、ことの印象はビビッドに覚えているものだ。

ヌルヌルスタジオ?可愛い!と言ってくれたお姉さんたち、

すわべさよこ変な写真でおもしろい!と笑って写真を撮っていってくれたこどもたち(何に使うのだろう…?)、

真剣に一緒に作品の価値を考えてくれた大人の方々、

土手の絵の前で3時間くらい寝ていってくれた方、

吊り下げられた布でできたスクリーンに体いっぱいにぶつかって遊んでくれた子どもたち、

パラメトリックスピーカーの下で時報の音源を探しながら自身の持ち物を探る方たち、

一つ一つの掲示物を熱心に読んでくださった方、

ご自身の家計と照らし合わせて真剣に値段を考えてくださったお母さんとお子さん、

いつも見守ってくださったスタッフの方々、

書ききれませんが…

皆さん本当にありがとうございました!とても良い時間でした!

あと1日、楽しんで終えたいと思います!


2021.08.15 諏訪部

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