冬の間は落ちたまま
かつてこんな症状はなく他人から聞いたこともなかったが今や花粉症のようにいつの間にか広まり一般的になりつつある「気象病」。
初めてそれらしき症例を見たのはサライネス氏の「大阪豆ゴハン」で三女の菜々子が勤めるレーシングチームのスポンサーのお偉いさんにドライバーの成績不振についてひたすら嫌味を言われる間ずっとしおらしく話を聞いているように見えたが、実際は近づく台風の気圧で耐え難い眠気に襲われ立ったまま寝ていて一切聞こえてはいなかったことにチーム監督から「便利なやっちゃのー」と言われるページだった。
あれから三十年も経っただろうか、まさか自分が雨や風、そして月の満ち欠けでもって感情を左右されたり元がそもそもポンコツなものをさらに使えないと母親に怒られるほど眠くてたまらなくなるとは思ってもみなかった。
日々眠くてたまらないのだ。目が覚めて階下に降りその日最初の食事を摂り抗うつ剤やら元気を出す薬、更年期のイライラに服用翌日から効果を実感した加味逍遙散、それらをしこたま腹に収めた頃には眠気も限界で寝落ちする始末である。
横にならなければ寝てしまうこともない。猫舌なので真冬でもアイスコーヒーを愛飲する。インスタントじゃないソリュブルな香り高い粒々を大盛り2杯タンブラーに入れ水を注ぎ溶かし一気にぐびぐび。一日4杯は飲む。やがて女は静かに眠るのでしょう。だめだった。
気象病の眠気、そして新月満月と月齢による眠気。これもまた更年期の始まりの頃から症状が出始めた気がする。月経前2週間ほどイライラしてたまらず物にあたったり母親にあたったりしつつ本人もまた突如として自分ではどうにもできなくなった。ドスドス音を立てて暴れまわる感情へのロデオを強いられて振り落とされもはや無駄な努力に振り絞る気力も枯れてきた、そんな頃。
まだ月経は毎月来ていた。腹部の痛みとともに僅かな血液が紙に着いたら暴れ馬はいつの間にかおとなしくなり、イライラの代わりに今度はひどい腹痛と、大きな煮凝りのような血の塊がタンポンの脇を抜け膣口からゴボッと排出されるなんとも嫌な感覚を味わわねばならぬのだった。
恋愛には縁がなく他人に愛されず、それ以前に実の祖母にも父にも嫌われたどうしようもなく不要な無駄の具現の中にずっとあった女の臓器が断末魔の悲鳴を上げている。すっかり縮んだ子宮が無理やり内膜を吐き出す。
女として性には無縁で、けれども女の臓器だけは悲鳴を上げ続けていた。
せめて女の身体の中にあったのならばそれなりの、そして当然とされる働きをしたかったのだろうか。私はそんなものもそんなこともご免被るとしか思わなかったのに。
最終月経から2ヶ月、今年最後の満月が過ぎ、次の新月はいつだろうか。
春夏の晴れて暑い日にならばそれも身体が感じ取るのだろうが、冬だけはまるでかつてからの冬と唯一変わらずにある季節のようで、暖房のある部屋以外は冷え冷えとして、自分の体温で寝具を温め、寝具に保温されて炊けた米のように眠り、起きてまた寝落ちする。
昼の光に当たろうとしても天気は悪くセロトニンは生成されず大量の薬で脳内物質を補い、誰かが遊ぶジェンガに私は左右されるのだ。一年間月経が来ずに閉経を迎えるか、カウントがゼロに戻るか。
桜の咲く時期にも夏の暑い盛りにも私は通院以外に外出することはなかった。おかげで腰回りの筋肉も自分の重みで潰れた両方の膝関節、そのすぐ上の裏腿も筋肉もすっかりなくなってしまった。
日の光が射す時間に眠り沈む頃に起きる夜行性の役立たず。
セロトニンは枯れ、低気圧と高気圧、取り分け徐々に気温が上昇する時の頭痛と軽い胸のつかえと嘔吐を伴う感覚に耐え、これも更年期障害のひとつなのだと諦め受け入れ寝落ちし怒られるしかない。
メンヘラ更年期は病み言葉を日々書き連ねる。一瞬の春ののちにまた汗でびっしょりの季節が来るまで。