【葬送のフリーレン 1巻・2巻感想】傷つきたくない気持ちが後悔を生む時

 私にとって葬送のフリーレンは、かなり前から追っているブロガーさんが感想を書いているからという軽い動機で読み始めた作品だ。
 だけど、読み進めていくと「いずれ死んだり別れたりする人間とどのように知り合い、関わるのか」や「死んだ後の人間との思い出についてどのように意味をつけるのか」ということは私が長年向き合いきれずに温め続けていたテーマだったことを思い出した。今では、私にとって大切な作品になるかもしれないと思いながら読み進めている。

 これは私の個人的な話なのだけれど、私は小学校の三年生のときに、祖母を肺癌で亡くしている。
 私は子供の頃から人見知りが激しく、その祖母とは関係は悪くなかったが会話をした記憶はあまりない。ただ、姉の運動会を一度一緒に見たこと、祖母が元気な時は一貫樓の肉まんが好きでそれをよく買ってきて食べさせてくれたこと、祖母が入院した際に見舞い品のフルーツ大福をくれたことだけは覚えている。

 私は祖母の見舞いに行くのがあまり好きではなかった。歳をとった病人のにおいが得意ではなかったし、話したいことも思いつかなくて、自分がなぜそこにいるのかよくわからなかった。祖母が峠を迎えた時は、親族が祖母を取り囲んでいる病室の雰囲気に耐えられなかった。なので、待合室の本棚に置いてある『おたんこナース』の背表紙をずっと見ていた。
 祖母の死に際だけはちゃんと見た。母と伯母が泣く声を遠い風景を見るような感じで見た。
 祖母の葬式でも、母は泣いた。私は祖母の棺桶の中に、百合の花を備えた。生花のにおいがむわっと青臭かった。私は、親族が亡くなったのに悲しいと思わないことについてバツが悪いと思った。
 そして、「もう少しこの人とちゃんと関わればよかったかもしれない」という自分への疑念が湧いた。

 私の、死者に対する「相手ともっと深く関わるべきだった」という思いは、死との邂逅を重ねるたびに強まっていった。
 専門学校生の頃、物心ついた時から一緒に暮らした飼い猫が亡くなった。成人してから、もう一匹亡くなった。私は、死体に対して慈しみを向けられるようになった。成人してから亡くなった猫には、遺体にかける布や火葬する際に添える花を選んだりすることができた。
 そして今は、「出会った人々や命に対して、丁寧に関わってちゃんと知っていきたい」と感じている。


 私にとって、フリーレンは同じ目的を持っている存在で、この物語を読むことは私にとって深い体験になると思う。

 フリーレンは、ヒンメルが死ぬまではかなり人に対して距離をとってコミュニケーションをしている。

 エラー流星を見ている最中に「弟子を取ったりしないのか」と尋ねてきたアイゼンに対してフリーレンは
「時間の無駄だからね。色々教えてもすぐ死んじゃうでしょ」
と言い放つ。

 ヒンメルに預けていた暗黒竜の角を返してもらいに行った時も、
「君にとっては軽い気持ちで預けたものかもしれないけど、僕にとっては大切な仲間から預かった大事なものなんだ」
とヒンメルに言われて、
「そんなたいそうなものじゃないんだけどな…」
と呟いたりする。
ドライな態度というよりは、心が傷つかないように無自覚のうちに予防線を張っているみたいだ。


 私はこれを読んで、思い出したことがあった。

「恋人と一緒になったとしても、いつかどうせ別れるからそのことを恋人には念頭に入れてもらって付き合うようにしている」

という旨の話をフォロワーから聞いたことがあって、フリーレンの言動はそれを何となく思い出させるものだった。
 私にも割とそういうところがあり、「どうせいつかは大切ではなくなるから」とニヒルを気取って人と必要以上に距離を取ったり、思い出の品を持たないようにしたりするようなところがあった。人と人はいつか別れることになるという事実に対して、私は心の準備がなかなか整わず、自分の脆弱さがコミュニケーションに剥き出しになっていた。
 こういった態度は、未来に自分が傷つくことから逃れるために、「未来には絶対になんらかの形で別れが訪れるけれど、それでも今一緒にいる(いた)ことを大切にしたい」と真摯に向き合ってくれる人を傷つけてしまう態度かもしれないと、この作品を読んでいて思った(フリーレンが本当に同じ理由でこの言動になっているかどうかはさておき)。
 フリーレンの思い出の中のヒンメルは多くは語らないから、傷ついているかもしれないというのは憶測だけれど、こういう予防線を張って大切な人に関心を寄せないようにするのは失礼な態度であるように思う。そういう生き方をしてきたことに私は恥を感じているし、反省や後悔がある。
 だから今の私は、人との関わり方について模索している途中だ。

 私は今、好きな人がいる。
 私なりに真剣に愛していて、だからこそ一緒に潮干狩りに行った時のチケットや、一緒にプールに行った時に飲んだ梅酒のラベルなどを思い出の品としてノートに貼りけていたのだが、そのくせ「早いところ捨てよう」と思っていた。その矛盾の理由を私は『葬送のフリーレン』を読むことで発見したように思う。
 ヒンメルの言葉を読むと、思い出を大切にして人を愛する人生がいかに豊かで美しいかがわかる。『葬送のフリーレン』では、今のところヒンメルが一番好きだ。私もこういう感性を私も育てていきたい。

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