加藤克巳『螺旋階段』評:夢に昇天

モダニズム歌集評第8回
底本:加藤克巳『螺旋階段』(協和書院、一九三七)

加藤克巳は國學院大学四年生のころに第一歌集『螺旋階段』を刊行しました。主として早崎夏衛・岡松雄が発行する『短歌精神』に作品を発表しており、モダニズム期の歌人の中では最年少です。『短歌精神』には数号にわたり『螺旋階段』批評特集も組まれました。
戦後は新歌人集団に参加、近藤芳美や宮柊二とともに戦後派の一人に数えられています。また同じく新歌人集団の一人にして戦後派の歌人である大野誠夫と同人誌『鶏苑』を発行していました。
『鶏苑』解散後は『近代』を創刊、のちに短歌結社『個性』と改め、「軽短歌」で知られる筒井富栄や、短歌結社『熾』を創刊することになる沖ななもなどを指導しました。『個性』の系譜の歌人は実に個性的で特異な文体を持つ人が多いので、調べてみると楽しいと思います。門下の歌人たちの名前は加藤克巳のWikipediaにまとまっています。
加藤克巳自身の文体も、シュルレアリスム志向であり、不安定な韻律や積極的な口語使用など特筆すべき部分が多くあります。戦後刊行の『宇宙塵』、『球体』などを参照ください。
『螺旋階段』には定型を外している作品はあまりありません。

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モダニズム短歌の定義は難しい。都市詠中心と形容するには野原に多くのポエジーを求めすぎている。シュルレアリスムと形容するには現実的すぎる部分もある。それでも集団で見てみると、「きちがひ」を装うことなど共通するモチーフは見えてくるようになる。このあたりの細かい話は前回までのモダニズム歌集評シリーズや、『現代短歌』2023年7月号に掲載されている評論「モダニズムを再起動する」に書いたので、適宜参照されたい。

さて、加藤克巳はモダニズム期の歌人の中で一番シュルレアリスム志向が強いと言えよう。歌集には端的にわけのわからない世界観の短歌が並んでいる。

まつ白い腕が空からのびてくる抜かれゆく脳髄のけさの快感

腕が空から伸びてくる。そんなことがあってたまるか。しかし「伸びてくる」と書かれているからには受け入れよう。だとしても「抜かれゆく脳髄」はあんまりだ。まるで背ワタを抜かれるエビではないか。極めつきは「けさの快感」である。一般に、人間の脳髄は反射を司るので、抜かれると呼吸ができなくなり、死ぬ。快感どころの騒ぎではない。しかし克己はこのような世界観を繰り返し提示してくる。

見ぬかれしはらだたしさにトイレツトの鏡にわれをはりつけて来る
バスのなかにおとして行つた会話すら霧雨に濡れてかなしきものかな

これらの歌は脳髄が引っこ抜かれる歌よりはまだわかりやすいかもしれない。しかし騙されてはいけない。よくよく読めばおかしなことが書かれているのだ。トイレの鏡は像を写すのみで、そこに自分を貼り付けることはできない。写真と解釈するのは野暮だろう。貼り付けられ、ひらぺったくなった「われ」はカートゥーンの世界ではないか。
二首目は「会話」が質量をもって落とされているが、ここはなんとなく受け入れられよう。しかし落としてきたのは「バスのなか」である。内部にあるはずのものが、いつのまにか外にでていて、「霧雨に濡れ」るのは奇妙な話ではないか。こうした唐突な場面転換など、克己の詩的飛躍は夢の中の世界を思わせる。

薔薇花からあふれでてくるあさのにほひ完全にぬけきつたわが頭(ず)を叩く
大き葉をあさの茶室にひきさけばひらひらと頭(ず)は快適となる
ゆゑもなくたのしきがごとし花のかげあさの茶室に友を殺しぬ

「あさ」の歌を集めてみた。朝は目覚めの時間である。克己は目覚めても夢を見ている。重たさをもった「にほひ」に頭を叩かれたり、茶室で葉っぱを引き裂いていたり(謎の行動だ)、果ては友人を殺して楽しんだりしている。猟奇殺人ではないか。これらのことは、あまり現実と思いたくはない。
これらの景を眺めている眼はどのようなものなのか。

水滴のしたたる窓へ胸ひたすあけがたまなここぼれるおもひ
慄えつく冬のひかり眼球(がんきゅう)をひたぶるにみがく庭にくだりて

眼の歌にはこのようなものがある。眼はこぼれてしまう。そしてこぼれた眼を克己は「ひたぶるに」みがいている。モダニズム期の短歌では、作中主体と歌の観測地点がしばしば分裂することを、これまでの歌集評価でみてきた。その中でも克己の行動は特異だと思う。眼球をみがいているならば、どうやって「慄えつく冬のひかり」をみているのだろう。

炎えあがるさかんな夢にさめゆけばむせかへるほど春光のなか

だが、克己の夢も無限ではないようだ。ここまでに挙げた歌は実に「炎えあがるさかんな夢」であった。夢から覚めた歌では、春の日差しに包まれる穏やかな景が登場する。
もちろん克己の夢はここでは終わらない。夢から覚めて、夢にまた入る克己の軌跡は、戦後も続いていくことになる。

克己の歌集は以下のリンクから読むことができる。ただし、利用には国会図書館への情報登録が必要であることに注意されたい。

加藤克巳『螺旋階段』:国立国会図書館個人送信サービス

加藤克巳『宇宙塵』:国立国会図書館個人送信サービス

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