お金を貰うということ
バイトで給料を貰う=当然のこと
です。「〇〇を1時間したら1000円渡します」という契約にお金を渡す人と労働を提供してお金を貰いたい人が同意して、働いた結果お金が貰えます。
バイト中は「だるいなあ」とか思いつつも仕事をやりきり、その結果給料を渡される。このお金を貰うとき、多分ほとんどの人は「当たり前に正当な金額を貰う感覚」だと思います。
もしも不払いが起これば生活に困る人もいます。
一方で、
友達に勉強を教え、教えた結果すごく感謝される。勿論そこには金銭の授受は発生しませんが、これもまた別にお金なんて要らないよという「当たり前の感覚」に近いと思います。
仲のいい友達だし、ギブアンドテイクなところあるしな、と思うのではないでしょうか。友達と過ごす時間の一環で、その間お金を貰えなくとも生活に困らないと思います。
では、
自分で作ったものやコンテンツを人にあげる場合はどうか。価値にもよると思いますがタダであげるのか、それともいくらか決めてあげるのか。
タダであげる場合、当然金銭の見返りはありません。多くの人に感謝されると思います。(一方、悪い言い方をすると消費されて終わりになる可能性もあります。)
それでもいいよって人に困っている人に与え続けられる人は人間的にかっこいいと思います。しかし、それだけやっているとお金がないので生活できなくなってしまいます。感謝された人が助けてくれる可能性が0という訳ではないけれど、そこに期待するのはリスキーです。
ではお金と引き換えにコンテンツを渡す場合。
もしかしたら人によっては「これくらいタダでやってよ」と文句を言われるかもしれません。でもお金が貰えることで次からはこの金額かな、とかもっと良いものを作ろう、とか余ったお金で買ってくれた人に還元しよう、とかできることが増えるのも事実だと思います。
生活に困っていた人が自分オリジナルのコンテンツを販売することで、すごく豊かな暮らしをできるようになる可能性だってありますよね。
何が言いたいのかというと・・・
・人に与え続けるには、自分の生活が保障できる体力が必要になるのではないか。(生活苦だと難しい?)カッコ良い人間になれるが、完全それだけしてやっていけるようになるには道のりが長そう。
・理念は大切だけど、理念だけでは成り立たないものがある。収益を得つつバランスを取ることが大事な気がするけど難しい。100人中100人が納得するものにならない可能性は十分にある。
・貰ったお金を次にどう使うかが大切?お金を稼ぐこと自体は悪や卑しいことではない。(適切にお金を貰う「払う側も貰う側もお互い気持ち良い」と思う仕組みづくりがないと破綻が生じそうだけど)
自分も自分のオリジナルの価値を出しつつお金を貰えるようになったらいいなあと思います。自分なりに試行錯誤しながら納得できる考えが出せると良いです。
「あ、ちなみに僕は最近収入源のバイトがなくなり、困っている人です。優しくしてね!」というオチを添えておきます。(助けて!ってわけではないです)
では。
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