ニーチェ。すごく好きです。
※上記の本を参照
※前回の続き
ニーチェ(1844〜1900年・ドイツ出身)
・「神は死んだ」と説いた人
・宗教とは弱者のルサンチマンだと説いた。
前回までのnoteに綴った通りユダヤ人の悲惨な歴史から生まれたユダヤ教。そこには選民思想があった。何度も苦難に見舞われ絶望した挙句、やっとのことで現れた救世主イエス・キリストは選民思想など全く持ち合わせておらず。ユダヤ人に対し『哀れな彼らをお救いください』と口にするだけ。
ユダヤ人は虐げられていた間、自分達を救ってくれる神を望んだ。
だが現れなかった。イエスはユダヤ人を特別扱いせず、救ってくれなかった為、結局は虐げてきた他種族の人間への現実的な社会的復讐はできなかった。
じゃあどうすれば復讐できるかを考えた。
現実的には不可なら「精神的な復讐をしてしまえばいい」と考えた。
現代の僕たちも洗脳されているが、例えば「俺は権力と金が欲しい」と公言する人間に対してあまり良い印象を持たないだろう。
だがよく考えれば、自然界は弱肉強食であり元々は「力」こそ正義であり「善」である。
だが、どうあがいても叶わないと悟ったユダヤ人は、「通説である善を悪にしてしまえばいい」と考えた。
その為に、愛のあるキリストを殺す事で精神的な復讐を果たす。
『力を持って弱者を虐げる奴らは悪なのだ』と。
何故その教えがここまで広まったのか。殆どの人間が力を得ることができないからだ。
ニーチェは純粋な力を求める心が人間の健全な欲と説いた。
現実的な力を得ることを諦めた人たちが、「現実的な復讐が難しいなら一般的な価値観を捻じ曲げて、力を持っているものを道徳的「悪」にしてしまえ!」と言う考え、教えを広めるに至った。
結局ねじ曲げた価値観で強者を悪と断罪する事でしか復讐ができず、その復讐のとなる倫理が神の教えとなった為、ニーチェは『神は死んだ』と説いた。
代わりに説いたニーチェの教えが「超人思想」。
強くなれるかどうかは関係なしに「とにかく強くなりたい!」という意思をもって生きよう!との考えだった。
■ここから「存在の真理」の章に突入■
ヘラクレイトス(紀元前540〜480年頃・ギリシア出身)
・「万物は流れ去る」と説いた人
硬い石であっても同じような硬い石をぶつけ合えば微かにでも削れたりする。
よって、万物は時の流れと共に必ず形を変えていくと説いた。
その変化には何かしらのロゴス(法則)があると説いた。
パルメニデス(515〜450年頃・イタリア出身)
・ヘラクレイトスとは反対に「存在は変化しない。存在するものは存在し、存在しないものは存在しない」と説いた。
この説はあまりに当たり前のことすぎて、聴衆に大笑いされたが、それくらいに存在する「物」はごく自然なことだと説いた。
わかりやすく言えばリンゴを限りなく小さくカットしていく。
だがいくら小さくしても無に帰すことはない。
そういった結果から「存在は変化しない」と説いた。
デモクリトス(紀元前460〜370年頃・ギリシア出身)
・ヘラクレイトスとパルメニデスの両論を合わせた「原子論」を説いた。
「確かにパルメニデスの言う通り分割していってもそこに存在はするが、限りなく分割していくとそれ以上分割できない細かさの粒ができる。
それがくっついたり離れたりすることでこの世の万物はできている」と説いた。
顕微鏡も発明されてない時代の為、証明こそできなかったが、そんな時代にここまでの結論に到達したのは快挙でしかない。
また、デモクリトスは原子論から、人間も万物同様に死ねば分子化し、形を変えて別のものに生まれ変わるとの結論から
『あの世なんて関係なしに生きてる限りは楽しもう!』とのことで、笑う哲学者とも呼ばれていた。
本日はここまで
◎今日の呟き
いや〜面白いです。ニーチェが言う「弱者のルサンチマン」は、正論に対して、論理的に反論できない女性が感情論で対抗するのと似てる気がしました。
善だ悪だ!と人を裁くのはだいたい世の中に不満を感じてたり、今の自分の現状に納得してない人が多いように思います。
強者は弱者から搾取できるから強者である為、相対的に強者が少ないのは当然の話。
今回の話は「なぁーるほど」と色々腑に落ちました。
生きていた時、母からの教育で「辛い時は神様に祈りなさい」なんて言われてて、何かおかしいとずっと思ってたこともニーチェの説でスッキリしました。
僕は今、たとえ最終的に得られなかろうが、力を欲しているんだと思います。その為に明日からもnoteを綴っていきます。
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