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勝ち負けを意識しない


競争は妄想かもしれない


この世に生きている以上周囲の人間との競争は避けられない。
劣等感や敗北感に打ちひしがれることも多い。
だがその思いの原因はなんなのか。

人間には食欲・性欲・睡眠欲などの欲があるが、承認欲もある。
ただそれらを確保するには「大勢の中の希少な存在」で居続ける必要があるため席に限りがある。
さらに世の中は移ろいゆくもの。
価値観も変わり続ける。その中では「勝ち続ける」ということが難しいため心の平穏はいつまでも訪れることがない。

「もっと周りに認められたい」「まだまだこれだけじゃ足りない」
常にこんな気持ちに追いかけられることになる。

子供の勉強の例で言えば「同じ学年」という集団の中で試験が行われ、テストの点数でランク付けがされる。
成績の良いものが讃えられ、そうでないものは卑下される。
そもそもそんなものは単なる結果であって、点数と言うある特定目線から計った価値観でしかないのに、その子の親の見栄だったり、その子の親の周りの親に対する親自身の承認欲求を満たすために、高い点数を取ることが子供に要求されるようになる。
そうなると、強制的に子供は「優秀な成績をとらなきゃ」という「妄想」に追われ息をつく暇がなくなってしまう。

大人になっても周りとの比較をしてしまう人は、
学生時代に当たり前のように刷り込まれた「記憶力がよく、必要な時に情報を的確に当てはめることができる人が素晴らしい」という、世の中の”学校”というコミュニティで決められた価値観に縛られている可能性がある。

焦りが生じた時には目をつぶる。
暗闇の中には「勝てなければ」「負けて悔しい」などの思いは形として現れない。
自分の呼吸の音と、感覚があるだけ。
見る必要のないものを見ているから、勝ち負けの結果に囚われてしまう。


見えるものは、見なくて良い。
聞こえる者は聞かなくて良い。
よく知る者はこの世にあって、無知なるものとして振る舞え
ー長老カッチャーヤナの言葉 テーラガーター
心の内側を見ず、外の世界に反応ばかりしている人は、欲望に流される。
心の内側も、外の世界もよく理解して、煩悩に覆われないクリアな心で見る人は、欲望に流されない。
ー仏弟子ラクンタカの告白 テーラガーター



◎今日の呟き
SNSが氾濫している今、どこを見ても「可愛さ」「カッコ良さ」などの見栄えが重視されてるように思います。
その結果「顔を整形」することのハードルが下がったのか、たまたまちょっと興味が湧いて某SNSのライブ配信枠を覗いてみると、顔だけでは誰が誰なのかわからないくらい皆同じに見えてちょっとした怖さを感じました。
女性は特に容姿の良さが人生を変えると言って良いほど重視されたりしますので仕方ないのでしょうか…。
「可愛い」という価値は希少だからこそもてはやされるものですが、金太郎アメのように整形外科で大量生産できるようになれば、顔だけでは売れなくなってくるので中身が大切になってきますね。
そうやって自身の能力を高めることに繋がるのは良いことかもしれませんが、整形した人は「ここをもっとこうしたい」とかその後も際限なく自分の顔で治したいところが出てくるようです。
こういう行動も根本は「他人との比較」「もっと特別視されたい」という欲求から起こる物ですよね。
私は現在TVも見ませんし、SNSはYOUTUBEをみるくらいで他のSNSはほとんど見なくなったんですが、「○○は大勢の人で賑わっています」とか「クリスマスシーズンです」だとか競争心や孤独感を煽って購買欲や、欲求を掻き立てる情報をシャットアウトするようになってからは些細なことでも幸せを感じることができるようになりました。
日本人で年収1億超えている人を「すごいな」と思いますが、世界にはその何倍も裕福な人がいます。
逆に、一日一日をなんとか暮らせるくらいの生活しかできない人でも「幸せ」を感じてたりします。
人それぞれ幸せを感じるために必要な物は違うのですから、周りに流されず「自分の目的(方向性)」を見つめて歩んでいきたいものです。

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