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大多数の決定が、いつでも正しいとは限らない

ヨハネ・パウロ一世
1912 〜 1978年。 ローマ教皇。

今になって気づいてしまいました。
このダイソーの週めくり、名言200円カレンダー。載ってる言葉は去年と同じかも。

そう思うと「200円だけど侮れない」と思っていたのが、「なんや使い回しかいな」という気分にもなってしまいますが、それでも感じることはあるので続けていきましょう。

大多数の決定が正しいとは限らない。でも「多数決をもって正しいこととする」というのが現在の民主主義の原則でもあります。

「多数決を正しいとするのは、少数決が正しいとは言えないから」という話を聞いたことがある気がします。最大多数の最大幸福を持って善とする、ベンサムの「功利性の原理」と呼ばれるものがあります。
全ての人が完全に一致できる結果を導き出せるなら、それが良いのは言うまでもありません。しかし、人により立場は異なりますし価値観もそれぞれです。仮にみんなが「価値がある」と評価するものがあったとしても、「どれくらいの価値があると考えるか」を統一することは至難でしょう。これは「善と悪」の両方に言えるのでしょうが、「悪いこと」ではあってもそれをどこまで厳しく禁ずる・罰するべきかという判断は人により、状況により異なります。明確な悪意を持って起こした事件と偶発的に生じた事故では、仮に「全治1ヶ月の怪我を負わせた」としても追うべき責任は変わると思います。

多数の意見を正しい「ものとする」という解釈。

 本当に正しい、絶対的な善が存在するのか?これは哲学なのかもしれません。だからこそ、「善ということにしておく」という解釈であるのを忘れてはいけないと思います。あくまでも多数決で導き出した結果は「正しいとした結果」であり、反映されなかった少数意見や議論されていなかったり、見落とされていた意見が抜け落ちている可能性があることを認識しておくことが大切だな,と自戒を込めて書いておきたいと思います。

 もちろん多数決が悪いという訳ではありません。ただ多数決を「いつ行ったのか」、「どのように問いかけて答えを得たのか」、「どれだけ議論を尽くしたのか」、「採用した結果に,どれだけの納得が得られているのか」、それらを深掘りせずに「多数決=正しい」と考えてしまう人にはなりたくないな、と思いました。

そういえば今度「教皇選挙(コンクラーヴェ)」という映画があるそうな。ヨハネパウロ一世さんは、教皇になる前はどんな人だったんだろう?どんなことをした人なんだろう?と歴史にまた少し興味が湧きました。

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