2016.04.01〜02 肥薩線
ここ数年豪雨災害が相次ぎ、鉄路の長期運休が後を絶たない。日本は稲作を基幹として続く国だけに、町は田畑を潤す川沿いに発展し、山がちな地形も手伝って当然交易路となる鉄道も川に沿って走ることが少なくない。それゆえに川が増水すると、鉄路もろとも流されてしまう。
2020年7月、九州を線状降水帯が襲った。猛烈な雨は急流球磨川に降り注ぎ、かつてない水位となって町を、田畑を、そして線路を飲み込んだ……。
これに遡ること4年前、九州を旅していた私は桜を求めて肥薩線にたどり着いた。天気は上々、早朝八代を出発し一路球磨川を遡ることにした。
SLには大して興味はないが、走っているなら撮らない理由はない。人吉駅でレンタサイクルを借り出し向かったのは西人吉〜渡間の桜並木。有名な桜のトンネルだ。現地に着くとカメラ片手の人だかりができていた。遠くは台湾からこのために来たという人まで。好きが動かす気持ちの強さを感じた。和気あいあいと待つこと数十分、遠く汽笛が鳴り、炭の香りがあたりを漂った。
翌日、朝から向かったのは球磨川を一望できる海路俯瞰。線路の対岸から見渡すロケーションのため、駅は近くとも川を渡る術がなく白石駅から2時間歩いて到達した。クソ遠い。とはいえ登れば最高の景色。雲は少し多いものの普通とSLをシャッターに切り取った。
俯瞰からはご一緒した諸兄の車に乗せてもらい鎌瀬駅へ。車にスマホを忘れるという強烈なミスをするも、付近で奇跡の再開を果たし無事回収。安心して球磨川のほとりに降りた。見上げるは球磨川第一橋梁。幹線時代の重厚な作りを今に伝えている。青空、緑の山、赤い橋の舞台に、白のキハは彩りを添えた。
列車で渡駅まで南下し、歩くこと15分。今度は球磨川第二橋梁にほど近い踏切に三脚を据えた。狙うは八代に戻るSL。橋を渡る轟音の直後シャッターを切る。ピンは少し甘かったが、期待通りの爆煙が花咲いた。
4年後、このすべてを豪雨は無残に流していった。渡駅は原型を留めず、近くの老人ホームでは甚大な被害が出たと聞く。海路駅近辺は写真で分かる通り、水位が上がればひとたまりもない。橋は第一、第二ともに完全に流出した。近くの鎌瀬駅も言わずもがなだ。すべてが無くなった。本来は変わり果てた姿こそ記録し、往時との比較をしたいところだが、コロナの時代にそれはすべきことでない。
肥薩線はもともと稼げる路線ではない。日田彦山線のような結末になることも考えられる。なにしろ、コロナはJRの企業体力を日に日に削っていく。「アフターコロナ」だってどうなるかわからない。今は再びこの光景が見られることを願いつつ、いつか必ずこの地を再訪することを誓うのみである。