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Boundaries

先日のつぶやきを、もう少し深堀りしてみることにしました。

私にとって、こういう「若者にがんばってほしい」的な発言は、例え冗談だとしても聞きたくないものです。
全く笑えないし。

先日も、あるイベントに参加した際も、スピーカーの方がお話の最後にこのような発言をしていて、それまでの話が全部吹っ飛ぶくらい頭を殴り飛ばされた感覚になりました。


冗談としてサラーっと流せる人になりたい、という思いも少なからずあります。それが、大人の対応なのかもしれません。
しかし、このような発言自体、私はいらないんじゃないかなと思ってしまいます。



この、「将来の若者に期待する」系の発言のどこがモヤモヤするのか。

端的に言えば、

  1. 責任転嫁

  2. 壁の構築

です。

1つめの、責任転嫁
今、実際に社会を動かしている・社会で活動されているのは、働いたり動いたりしている大人たちです。
問題を解決しようと活動されている方々に「若者頑張れ」と言われると、「あなたたちも問題解決のために頑張ってるんじゃないんですか?」と聞きたくなります。

決して責任転嫁のためにこういう発言をしているのではないと思いますが、

「私たちや将来の子どもたちに今ある問題を解決させよう(=自分たちの代では問題を解決しようと思っていない)ということ?」

と勘違いしそうです。

というか、最初「将来の若者に期待してるよ」と言われたとき、私はそう勘違いしてしまいました。


今ある社会問題の解決には確かに時間がかかるでしょう。
でも、私にとってこういう発言は、どこか「切迫感」が欠けている感じがします。

そもそも、将来の若者に頑張ってほしいこと、多すぎやしませんかね。


2つめの、壁の構築について。
「将来の若者に期待する」系の発言をされるとき、私は「壁作られたな~」と感じます。

つまり、「若者」と「大人」の二項対立的な構造ができているということ。

年齢やそれぞれのライフステージでの役割に関わらず、同じ課題意識・関心をもつ人たちは仲間である、と私は思っています。

話を聞いて、「私もそう思う!」と共感して、仲間意識をもっていたところで、急に「大人」と「若者」の間に壁をピシャリと作られると、困惑してしまいます。



以上、私のモヤモヤを深掘りしてみました。

活動をされている人も、これから活動をしていきたい人も、お互いに壁を作ってしまうのではなく「一緒にやろう!」と手を取り合えるのがいいな~。


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