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あいつはすごいんだ!

あいつはすごいんだー!

と、よく言う、上司、同僚がいます。
彼らがそのように言う人は、誰彼構わず言っているのではなくちゃんと根拠があって、理由も明確にお持ちなのです。
なので、私からしたら、彼らがすごいと言っている人は、会ったことなくてもすごいと信じるし、またすごいと言ってる彼らのマネージメント能力、判断能力も信用出来るのです。

あいつはすごいんだー!
お前はすごいよ!

と言い切れる方は、人を褒めるのが上手な人だと思っています。
また、自身の判断能力にも自信があるから言い切れるんだと思います。


結局のところ、褒めるのが上手な人とは、

高いマネージメント能力と、
自身の判断能力に自信がある人

なのだと思います。

以前、日本人は褒めるのが下手だという話をしたと思います。それは、マネージメント能力が低いこと、自分自身の判断能力に自信がないからだとも言えてしまいます。

また、褒められるのが苦手な人というのも、かなりの割合でいるように思います。
また、褒められるのに慣れてないから。裏があるのではという褒められ方をしてるからとか。色々歪んだ見方をしたら、キリがないところもあるとは思います。なので、胡散臭いと思っても、まずは素直に褒めてもらったことに喜ぶこと、感謝すると風向きが変わることもあると思います。

ただ、何度か色々なところで書いてますが、貶して、いじめて伸びるというのは、一時的なものでしかないと思ってます。
体罰や、いじめを肯定するのは、指導する立場の人自身のマネージメント能力、判断能力に自信がないからだと思うのです。

また、貶す、いじめるという行為は、自身が面白くないことの憂さ晴らしだったり、不満解消の道具として活用してる人もいるし、いじめてる、貶しているというパフォーマンスはそのターゲットにされてる人に対しての圧力だけでなく、それを見てる第三者に対する、警告だったり、圧力だったりもする行為で、結局のところ自身のマネージメント能力の低さ、判断能力のなさを皆様に知らしめることで、ムラや組織での意味不明な権力を得ようとしてる行為だと思っています。
こーいうのを、総称して、いじめ、パワハラなどと言うのだと思いますが、いじめる方、パワハラを行う方が根本的な考えが変わらない限り無くならないのだと思います。

話は飛びますが、日本語教師に限らず、教師という仕事はマネージメント能力は必須だと思います。マネージメント能力は、才能として持ってる方も一部いますが、大半は経験のなかで身につけるものだと思います。マネージメント能力がない人、身につけられない人は、教師に向いてないのか?それはそうでもないと思うのです。マネージメント能力がないという能力を活用していけば良いと思うのです。
???ですよね。
自分としては、結局のところ日本語という道具をどう使うか?相手に対しては、日本語という道具をどう使ってもらうか?かなと。

どう褒めて良いかわからない、どう注意して良いかわからないときは、

まずは一呼吸、

素晴らしい
お前はすごいよ!

と褒めて、一旦冷静になって、言いたいことを言えば良いのでは?と思います。

感情から褒める、貶す、叱るも大事だけど、一呼吸置く、心から褒めるではなく、冷静になって褒めることがよいのでは、冷静になることで、感情的に言うと、貶すになっていた言葉が、注意するになるのでは?と思うのです。

特に日本語にまだ慣れていない人との会話、指導は特にそうなのでは?真面目に熱く慣ればなるほど、感情的になってしまい、冷静さがなくなり、自信がなくなるのでは?と思います。場合によっては、貶すなどに陥ってしまうのではと…。

なので、まずは、

素晴らしい!

お前はすごいよ!

からなのかなと思います。


そーいえば、欧米の英語講師のテンションはそんな感じが多いなとふと思ったりしました。彼らも、出来の悪い、やる気のない日本人の英語の勉強に付き合ってくれて、褒めることで一呼吸置いてたのかなと思うと今になって感謝の気持ちで一杯になりますね…。きっと、彼らはサービス業に徹してくてたんでしょう…。


今日はこの辺で

最後までお読みいただきありがとうございます😊


今日もひでじビールで乾杯です。


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