自分には生きる価値がないと落ち込んだ時には
自分には生きる価値がない。
そう思う日が何日かに一度は来る生活を続けている。
それでも前よりは良くなった方だ。前は毎日24時間考えていたかもしれない。
自分自身に挑戦したいと、高校受験の勉強を毎日のように朝3時までやり、なんとか入れた進学校。
そこでは宿題が膨大で、宿題に追われて30分しか寝ない日もあった。そのせいで、私の自律神経という部分がぶっ壊れてしまい、脳にあるセロトニンという物質が激減してしまった。
また、地元が田舎で中学校まで同じ1クラス25人で変わらなかった(転校とかはあったけど)のが、いきなり200人6クラスで人クラス40人になったカルチャーショックや、周りに馴染めずいじられたこと(元々少し変わり者だったのも、周りからちょっと浮いていたのだと思う)、部活やクラスでの共同作業が上手くできずに(吃音や発達障害的な原因もあった)キチガイ扱いされたことなどが原因なのか、二年生を少し過ぎた時から学校に行けなくなった。
それから通信制の高校に行き、なんとか高校卒業の資格をとり、美大に行き、日本画を学び、就職活動に失敗し、今また苦しんでいる状態だ。
多分私は躁鬱なのかもしれない。さっきまで大声で笑っていたのに、次の瞬間から頭を抱えて自殺願望を抱くようなことが多い。
私には看護師の母親がいるが、いつもそれを慰めてくれるのが彼女である。
でもそれも本当に申し訳ないと思っている。看護の仕事でも、90代のおばあさんが「生きていてごめんね」と母に呟くのだという。
それを母は、「そんなことないよ」と言い返すのだそうだが、そう言うのも疲れてくるらしい。
だから、私なりに実践するようになった方法がある。
自分だけでなんとか抑える方法。。
それは、なんのこともない、ただ深く呼吸することだ。
そして、心の中で
『ケセラセラ』や『なるようになる』
と、しつこいくらいに唱え続けること。
瞑想の本などを読むと書いてあるが、深く呼吸することは気持ちを落ち着かせるのに効果があることは、良く知られている。
また、「なるようになる」と考え続けていると、頭が次第に
「ああ、なるようになるなら、私があれこれ考えなくてもいいのか」
と納得する効果があるそう。
なんでもない、簡単すぎる方法で、わざわざ記事にするまでもないが、深い呼吸や、ポジティブなことを思い込むことは意外とバカにできないと思う。
そして、逆も然りで、マイナスなことを考えてばかりだと、そういうネガティブなことを引き寄せてしまうとも良く言われることだ。
そう言うおまじないみたいなことでも、自分が少しでも明るくなれる、元気になれる、落ち着くことを探すと良いんじゃないかと私は思う。
まあ、でもそう簡単にはいかない時もあるかもしれない。
絶望にかられていると、何もかもが自分の敵に思えたりする孤独を味わうことがある。
でも。
世の中はそんなに悪い場所なのだろうか。
私が生まれてきたこの場所は、そんなにひどい場所なんだろうか。
今は落ち着いているからそう書けるけど、そうじゃない面も世の中たくさんあるんじゃないかと確信している。
美しいもの。美味しいもの。楽しいこと。可愛いもの。優しい人。面白い本。感動する映画。かっこいい音楽。
自分の好きなものは、いつだって絶対に自分の味方でいてくれるはず。
嫌なことがあったり、嫌なことをしたりされたりするのが、残念だが人生には必ずある。
でも、嫌なことは必ず終わる。
そして、いつか必ず楽しいことも始められる。
そのいつかは、今かもしれないのだ。