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kawaii文化はポピュラー文化なのか?

 私はカワイイをポピュラー文化と考えている。それは、ポピュラー文化が、社会で大衆が楽しむ文化である、という点にある。カワイイという言葉は現在、世界の共通語となるくらいに広まっている。それは、一部の人が楽しむハイカルチャーとは対立的に、多くの人が受容したくなる魅力があるからだと思う。敷居の高いものではなく、どの世界、どの時代の誰にでも(例え男性でも)受け入れやすい、身近さがある文化なのではないだろうか。
 では本題に入る前に、そんな「カワイイ」の定義から確認してみたい。
まず、世界共通語としての「カワイイ」と、英語の「cute」はどこが違うのだろうか。
 「カワイイ(可愛い)」をgoo辞書で引いたところ、「愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを覚えるさま」や「物が小さくできていて、愛らしく見えるさま」、「無邪気で憎めないさま」や「かわいそうだ。ふびんである」のように出た。
 実は「可愛い」という言葉は、「可哀相」から派生したといわれている。だから可愛いという言葉には、他者に対する慈しみの心があるのだと私は思う。
 次に「cute」もgoo英和辞書で引いてみた。この言葉にももちろん「可愛い」や「可憐」などの意味がある一方、「機敏な」や「抜け目ない」、「気どった」や「きざな」という意味も含まれている。よって、英語圏の方々には悪い言い方かもしれないが、「cute」には少し他人を嫉んだ気持ちが含まれているように思う。そこがカワイイとcuteの違いである。カワイイからこ
そ大事にする、cuteだからこそ嫉妬し皮肉ってしまうというように。
 つまり、カワイイとは他者を憎むのではなく、大切にしたいと思えるものだということだ。
 ここで、増田セバスチャンがプロデュースしているカワイイのカリスマ「きゃりーぱみゅぱみゅ」が、カワイイの定義について語った言葉をまとめてみる。「カワイイの基準は人それぞれの好み。反対にカワイクないモノは相手を傷つけるようなこと。世界中の人たちがハッピーになれるのがカワイイという言葉」とのことだった。彼女の言葉からも「カワイイ」という言葉の深さが伺えるのではないだろうか。
 それではカワイイの定義についてはこれくらいにして、本題に入ろう。カワイイという文化は、一体私たちにとってどんな存在であり、どう関わっているのか。このことについて考察していく。
 ここで最近のカワイイという文化は、実は”再”ブレイクなのだということに先に触れておく。では最初にカワイイをブレイクさせたのは誰であったか。それは、「中原淳一(1913-1983)」という人物であったと私は考える。
 彼はとてもマルチなアーティストであった。その活躍範囲は広く、雑誌「少女の友」の挿絵、口絵、表紙絵、付録などを手掛けたり、終戦後は、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいという熱い理念で、雑誌を相次いで創刊したりした。編集長として女性誌の基礎をつくっただけでなく、イラストレーター、ファッションデザイナー、人形作家、プロデューサー、ヘアメイクアーティスト、スタイリスト、インテリアデザイナーなど、実に多彩な人物であった。
 彼の絵を見ると、何十年も前に流行った絵であるにも関わらず、現代でもその魅力は色あせることがなく、全く古臭さを感じさせない。むしろ新しく感じるのだ。当時、中原の絵は多くの少女達の心を掴み、ニセ淳という中原淳一の絵を真似した絵まで現れた。主に女性の絵が多く、腰がキュッと締まったワンピースに、肩の膨らんだブラウス、スタイリッシュな髪型、そして何と言ってもその大きく描かれた瞳がとても印象的だった。この「大きな瞳」を描いたことが、後の世の少女漫画の瞳の描き方に大きく影響を与えたと私は考える。ベルサイユのばらを描いた漫画家、池田理代子はまさしくそうであったという。
 何故中原が当時の女性達に受けたか。それは、中原の描く絵の美しさと共に、彼の書く思いやりに満ちたエッセイ・コラム(ファッションのことからライフスタイルまで、またどうすれば賢く美しく、そして人に優しい女性になれるかなどを、幅広く説いた)が、戦後の貧しく暗い日本の世に生きる彼女達の心の穴を埋める存在だったからなのかもしれない。今の私たちがこうして様々なファッションを楽しめるのも、一つは中原の功績があったからこそだと思う。「きゃりーぱみゅぱみゅ」が述べたように、カワイイが人を傷つけ
ずハッピーにする概念であるならば、カワイイの文化は、既にこの頃から始まっていたと言えよう。
 女性美を題材とした絵画は、古い例では正倉院の「鳥毛立女屏風」を挙げることが出来るという。しかし中原淳一のような大きい目が描かれたような美人画(あるいは少女絵)は、中原が美術界に踊り出てくるまでなかなか見受けられない。
 彼の美人画改革は、その弟子「内藤ルネ(1932-2007)」に受け継がれていく。内藤ルネの少女絵も大きな瞳が特徴で、中原淳一の絵と比べると、もっとポップで軽やかにカワイイを突き進んでいるように思える。内藤ルネも中原淳一のように雑誌に貢献した人物で、様々なグッズのデザインも手がけていた。例えばルネパンダというものがある。日本で初めてパンダをグッズ化したもので、本来なら白いパンダの尻尾が黒くなっていた。しかし後に各メーカーから出されたパンダグッズにも、内藤ルネのパンダの影響か尻尾が黒くなっていたのだ(楽天のキャラクターである、お買いものパンダの尻尾も黒い)。内藤ルネは少女雑誌の付録も多く手がけており、この時代の少女たちは、知らぬ間に内藤ルネ流のカワイイに触れていた人も多かったのではないだろうか。
 レトロでありながら、現代でも通じる可愛さ。そう思う理由として、私は「ヴィレッジ・バンガー ド」を取り上げたい。ヴィレッジ・バンガードというのは、通称「遊べる本屋」で知られている雑貨屋である。流行ものの雑貨や本、漫画などが置かれている一方、いわゆるサブカルチャー的なグッズも数多くある。
 その店の一角には数年前から、カワイイをテーマにしたコーナーも増えてきた。そこに中原淳一の本や内藤ルネのグッズが売られていたのを見かけた時があった。このポピュラーカルチャーとサブカルチャーを融合させたような店に、このような昔に流行ったものが置いてある。それはつまり、また現代でも流行る可能性があるから置いたのであるに違いないのではないか。つまり、カワイイの文化は時代を超えるというということだ。
 中原淳一、内藤ルネらの作品に直接触れていなくとも、彼らに影響されたアーティストの作品にカワイイを見いだした当時の子どもは多いはずである。高橋真琴や水森亜土、田村セツコなどもそうだろう。そして、現代の画家やイラストレーターにも影響を強く与え続けている。
 現代のカワイイの文化。それは、この先もずっと続いていける可能性を秘めた、古くて新しい永遠の文化なのだと思う。

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