見出し画像

アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その7-1): Georgetown University Ph.D. Program in Linguistics,1974 (分割バージョン)

表紙写真 Georgetown University の校章(Georgetown University Yearbook 1974)

1973年のクリスマスから1974年正月にかけてカリフォルニアで息抜き

「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その6-4) 」の続きです。1973年Fall Semesterは、飛行に例えれば、滑走・離陸(take-off)のスタートの段階でしょう。幸先の良いtake-offができたものの、慣れない環境の中でのこと、緊張から精神的疲労も極限に達しました。息抜きしたい!という衝動に駆られ、Northern Californiaに向けて車で旅立ちました。道中、記録的大雪は収まることなく降り続け、道路状態も視界も極めて悪く、その上にオイルショックで給油もままならずで、緊張を強いられました。しかし、延々と広がる大雪原を突っ走るという非日常的な体験が、勉学で蓄積されたストレスの解消になったことも確かです。(*1)

East Oakland 100th Avenueの親友Jackの実家に辿り着くと、一気に緊張がほぐれ、そのまま長時間爆睡してしまいました。JackとPaulineは日本に行き留守だったので、高等学校での教職を定年退職したJackの母親と祖母、Jackの部屋に下宿をしていたJackの幼馴染と筆者の4人で静かなChristmasを過ごしました。

1970年代Berkeley and Oakland street scenes (Pinterestより)


(かつてのJackの実家2008撮影)

Jackの家に数泊した後、Cal State時代の知り合いの車に同乗してLos Angeles(LA)に向かいました。高校時代に通っていたプロテスタント教会での同学年の知り合いの女性が結婚してLAにいることを知り連絡すると、是非会いたいとのことで訪ねることになりました。1964年に婚約中の2人と話したのを最後に消息は途断えており10年振りの再会です。ご主人は名門FullerTheological Seminar(神学大学)で博士課程(Ph.D. program in theology)を始めたばかり、互いの勉学やらそれまでの経緯など語り続けました。

1970年代Downtown LA  (laexplained.com)

その翌日、バスでSan Diegoに向かい、大学時代に通った教会で知り合った家族に会いに行きました。ご主人はSan Diego海軍基地に勤め、夫人と2人の子供さんの4人家族、Cal State在籍中には何度も訪れて気心の知れた仲です。数日を楽しく過ごし、LAに戻りました。

1970年代San Diego (bing.com)

その道中でのこと、筆者らのバスが突如道路脇に停止させられ、メキシコからの不法入国者の取締りの為に検問を受けることになりました。取締官の一人がバスに乗り込むや、それらしき乗客に声をかけ、身分証明書の提示を求めていました。筆者もメキシコから来たマヤ族の末裔と思われたようで、声をかけられ、パスポートの提示を求められました。乗客の何人かはバスを降りるように命じられ、無言で道路脇に立ちすくみ、悲しそうな表情を浮かべていました。複雑な思いに駆られた一コマでした。(*2)LAに戻ると別の知人宅に身を寄せ、数泊した後、格安航空券で極寒のWashington, D.C.に帰りました。


1974年はPh.D. Qualifying Examination for the Ph.D. Program受験の年

当時のGeorgetownのPh.D. Program in linguisticsには3つの関門がありました。その1つ目はPh.D.プログラムに正式に入るためのPh.D. Qualifying Examination for the Ph.D. Program、2つ目はPh.D. dissertation(博士論文)を書く資格(Ph.D. candidate)を得るためのPh.D. Comprehensive Examination、そして、3つ目はPh.D. dissertationを書いて審査委員会の審査を受ける口頭試験です。

1974年は一つ目の関門に挑戦すると年です。この3月で30歳になり、行く末を考えると待った無しの状況でした。10月にはQualifying Examinationを受け、正式にPh.D.コースを続けられる許可を得て先に進まなければなりません。Spring Semester4科目、Summer School2科目、Fall Semester2科目 + Qualifying Examination for the Ph.D.を履修するという態勢で臨むことにしました。
いざ勝負です

Spring SemesterとSummer Schoolでこの試験に必須の全授業を履修し終え(*3)、 Fall Semesterは2科目のみにして試験に集中することにしました。履修授業は次の通りです。

1974年履修授業計画

Spring Semester:
Introduction to General Linguistics(954200)
Introduction to Transformational Grammar(954206) 
Verb Complementation (954455)
Semantics(954484)

Summer School(Session1 & Session2):
Bilingualism(955331) 
Contrastive Analysis(955361)

Fall Semester:
Introduction to Tagmemic Analysis(954205)
Semantics (954483)
Qualifying Examination for the Ph.D.

かくしてSpring Semesterが始まりました。

冬休み出費がたたり極度の金欠、キャンパス・キャフェテリアで朝晩働く

Californiaでの息抜きで予想以上に出費してしまった為、懐具合は逼迫し、金欠状態です。セメスターの授業料を払うとスッカラカンになり、すぐさま学生寮のキャフェテリアで働き始めました。パート・タイマーは筆者以外全員学部生です。

ある日、アフロ・ヘアのAfrican Americanの女子学生とペアでアイスクリーム・カウンターの担当になりました。“I’m Colin.” “Colin, I’m UG.”と紹介し合うや、“Excuse me, but are you a Japanese?”とColin、“Yeah, sometimes.”とジョーク交じりに筆者が返します。するとColinが「違うかなと思ったけど、聞いてよかった」と流暢な日本語で切り替えてきました。

聞けば、父親は横須賀の米軍基地で働くAfrican Americanの将校で、母親は日本人、日本生まれの日本育ちということでした。Foreign Service専攻の1年生で利発で笑顔を絶やさない明るい人でした。Colinを含め、GUや近隣のAmerican University(AU)、George Washington University(GWU)に通う日本人留学生や日系アメリカ人と知り合いができたのもこの頃です。後に別稿で紹介します。

「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その7-2)」に続く

オフィシャルサイトFor Lifelong English 生涯英語活動のススメをオープンしました。

(*1)アメリカ留学では学期ごとに気分転換が必要です。広大な北米大陸をあちこち見て回ることを勧めます。筆者はこれまで全州の8割以上を訪れています。中西部と東部のカナダよりの幾つかの州を残すのみです。

(*2)California州はかつてメキシコ領でその前はマヤ族の血を引く先住民の土地であった筈です。アメリカ中西部に行く機会がありましたら、各地の先住民居留地を訪ねると色々なことが学べます。筆者はナバホ族、ヤキマ族、ポウハタン族の居留地に行きました。筆者は、1968年アリゾナ州を通り掛かった時に、ナバホ族の古老にナバホ語で話しかけられました。筆者が日本人と分かると親しみを込めた表情を浮かべ、日本人とナバホは太古の昔は同じであるとたどたどしい英語で語っていました。留学中のよい思い出となった一コマです。

(*3)単的に言えば、GUのmaster’s program in linguisticsでの全部で10授業のことです。UHの master’s program in TESL で履修した授業の中にタイトルが重なる授業がありましたが、一つも認定されず、結局10の授業を全て履修することになりました。全くのやり直しです。言語学専攻系の授業と言語教育専攻系の授業では、前回(その6)でも述べたとおり、質・量とも全く異次元であることが、履修して分かったので納得しました。

いいなと思ったら応援しよう!

鈴木佑治
サポートいただけるととても嬉しいです。幼稚園児から社会人まで英語が好きになるよう相談を受けています。いただいたサポートはその為に使わせていただきます。