ホーソーン『七つの破風の館』...Halloweenとセイラム魔女裁判(4)
はじめに
「Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(1)」
「Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(2)」
「Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(3)」に続く(4)です。
魔女裁判の主たる原因は、ピューリタン入植地Massachusetts Bay Colonyにおける排他主義(separatists)であることは間違いありません。事件の影響は100年後の19世紀にもこの地に暗い影を落とし、Salemで生まれ育ったアメリカ文学の巨匠Nathaniel Hawthorne (1804-1864)の代表作The Scarlet LetterPDF(1850,緋文字)、そして、The House of the Seven GablesPDF(1851、七つの破風の館)にその足跡が色濃く残っています。
曽祖父は魔女裁判で死刑判決を出した裁判官だった
ナサニエル・ホーソーンNathaniel Hawthorneは、1804年Masachusett州Salemで生まれました。
Hawthorne家は先祖は17世紀から代々Salemに住み、英国から移民した初代曽々祖父のWilliam Hathorne(元はwはない)は、正統派ピューリタン教義の信奉者(多分separatist)で、マサチューセッツ湾植民地の要人となり、下級判事(majistrate)や裁判官(judge)を歴任し、クエーカー(Quaker)教徒の女性を鞭打ちの刑に処したりした記録が残っています。
その息子、すなわち、曽祖父にあたるJohn Hathorneは1692年のSalem魔女裁判 (Salem Witch Trials)における3人の裁判官(judges)の一人として中心的役割を果たした人物でした。
それから100年後Nathaniel Hawthorneが生まれた1804年にはHathorne家は没落し、船長をしていた父Nathaniel Hathorne Sr.が1808年黄熱病で死ぬと、
同じSalemに居を構える母方の叔父Robert Manningの家に身を寄せなければならないほど困窮していました。対照的にSalem他の他の家々が繁栄しており、魔女裁判の報復のせいではないかと思いながら育ったと回顧しています。
その後Hawthorneは叔父から学士援助を受け1821年にBowdoin Collegeに入学し、1825年に卒業しました。ここで後の大統領Franklin Pierceや詩人Henry Wadsworth Longfellowと交友しますが、学校は怠けがちで学則や厳しい学生生活の規範を無視し、ギリシャ・ラテンではなく空想に耽っていたと吐露しています。
厳格で排他的でなピューリタン主義の伝統への反抗ともとれ、不名誉な伝統で没落したHathorne一族と疎遠になることを願い、元の苗字Hathorneにwを挿入してHawthorneとしたようです。
このように、17世紀Salem魔女裁判に対する悔恨の念は、その約100年後に生を受けた作家Hawthorneの中では嫌悪感に変わり付きまとったようですThe Scarlet LetterPDF(1850,緋文字)発表翌年の1851年発表のThe House of the Seven GablesPDF(1851、七つの破風の館)はそれを直接テーマにストーリーを組み立てた作品です。
The House of the Seven Gables(1851、七つの破風の館)
ストーリーは、19世紀半ばのSalemを舞台に、悪名高きSalem魔女裁判で死刑宣告を受けた被害者女性が裁判官William Hathorne (ホーソーンの曽祖父)の家族に発したとされる呪いの伝説に基づいています。
Salemに立つ荒れ果てた七つの破風の館、その所有者のかつて隆盛を誇ったPyncheon一族には忌まわしい歴史があったのです。1600年代の末、農夫Mathew Maulが近くに泉が湧く肥沃な土地に家を建てたところ周囲の人気が上昇します。するとそれに目を付けた裕福なColonel Pyncheonが奪おうとします。数年後、Maulは魔法使ったとして絞首刑にされてしまいます。死刑宣告はColonel Pyncheonの陰謀と囁かれ、Maulは絞首台からPyncheonに呪いを投げかけました。
Pyncheonは反省するどころか、なんとMaulの息子を雇い、奪い取った土地にこの七つの破風の館を作らせるのです。ところがそのお披露目会パーティーで、書斎の机の上に伏せて血を流して死んでいるのが発見されます。それからもPyncheon一族の止むことなき代々続いた欲と傲慢は、今や衰退と貧困にあえぐ一族の住む館の荒廃ぶりに象徴的に映し出されます。
(当時イギリスで流行していたEmily Bronteのゴシック小説(gothic novel) Wuthering Heights 『嵐が丘』(1847)のタッチに似ています。)
そんなある日、Pyncheon家に騙された一族の子孫が館を訪れ、呪いを解き、一族の若い姪と結婚するところでストーリーは終わります。Ha(w)thorne一族の歴史を地で行くようなストーリーです。Hawthorne自身が先祖の犯した所業に苛まれ、そこから解放されようと願っていたことが切実に窺えます。
次回(5-1)は代表作The Scarlet Letter(1850、緋文字)について触れます。
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