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アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その5の2): University of Hawaii (分割バージョン)

はじめに

「アメリカ留学を振り返って-思い出の恩師たちMemorable Teachers」 (5-1)の続き(5-2)です。



アメリカ人学生と同等の英語力を認められて入学を許可されたのに外国人用英語授業を受けさせられそうになる

そんな折、その出鼻を挫きかねない事態が勃発しました。筆者は、数ヶ月前にUH大学院(Graduate Division)にTESL M.A. programの応募をした際、アメリカの大学に4年近く在籍していたことから、アメリカ人応募者と同じ手続きで応募しました。大きな違いは、TOEFLテストの代わりにGRE(Graduate Record Examination)のスコアを提出することでした。要は、筆者の英語力はアメリカ人学生と同等と認められたからです。(*6)

アメリカの大学、大学院はアメリカ人学生と留学生を分けずに授業を取らせますが、留学生が授業についていくのがいかに難しいか、これまでに述べてきた通りです。TOEFLテスト600点(約80%)以上のスコアをとっても授業についていけるかどうかは至難の技です。UHでも、新着留学生は、先ず、ESL管轄のEnglish Language Instituteで留学生用英語コースを受けるのが常でした。同じ留学生ビザ(F-1ビザ)を持つ筆者のところにも、英語力を測定するテストを受けるようにとの通知が送られてきました。担当部署が筆者の事情を知らずに送ってきたものと思われます。

筆者は既にCal State Haywardでのnon-objective graduate student(修士学位取得を目指さない大学院生)として、English major courses(英文学授業)を幾つも受け履修し好成績を収め、しかも、その内の幾つかのコースが、大学院TESL修士課程programのelective選択コースの単位としてtransfer(認定)されたのです。それをもって、筆者の英語力がTESLの授業についていけることは十二分に証明されており、ELIのコースが必要でないことは明らかです。卒業単位にもならない無用な授業を履修させられたら、その分semesterごとの履修授業数が減り、時間も掛か費用も嵩みます。通知をもらって黙っているとそのまま受けることになってしまいます。

アメリカの大学や大学院では学生がよく移籍しますが、その度にこうした事態は頻繁に生じます。そんな時にはアカデミック・アドバイザーに相談するのが一番です。アメリカの大学や大学院ではアカデミック・アドバイザーの制度があり、履修をはじめ学習上の問題のアドバイスをしてくれます。筆者は、問題の通知を持ち、指定されたアカデミック・アドバイサーのTed Plaister先生のオフィスに直行しました。

Plaister先生はE LIのDirectorで、著書からも分かるようにTESLにおいては習熟度のエキスパートです。先生は筆者のCal State Haywardでの成績書や志望書GREスコアなどを収めたファイルを見るや、

“You don’t need any ELI courses. That’s a big mistake. Who’s sent that?” (君には外国人のための英語コースは必要ない、なんかの間違いだ、誰だこんな書類を送ったのは!)

と少々怒りを交えて叫ぶや、筆者に

"Follow me." (一緒に来なさい。)

と言ってELI担当若手助教授のオフィスに行き、筆者のファイルを見せながら

”He doesn’t need ELI."

と一言。その場で筆者に対しELI 履修を免除するかどうかを問う書類“The ELI assignment: Exempt( )for Nathanael Suzuki” における(  )の”Exempt”を指す チェック・マーク ”x”を入れてサインしてくれました。後述するようにこの学年度先生は研究休暇を取ることになっていたので、本来なら先生自身が最終チェックすべきところ、この年に限りこの若手助教授が代行していたのでしょう。

Cal State Haywardで履修した英文学科の授業単位が認められ7coursesを履修すれば良いことに。アカデミック・アドバイザーTed Plaister先生。

その問題が解決したので引き続き、TESL programで取る授業について相談し、 UH Graduate Division発行のStudent Progress Form(履修授業計画書)を書き提出しました。 手元にその控えが残っており、1972年8月28日付けで、“ESL 450, 460, 610, 650, 660 or 670, 710 or 711, 730”を履修することが、Plaister先生のサイン付きで記録されています。この時点で、Cal State Haywardで履修した授業の幾つかがtransferできて卒業単位に認定されていたようで、これら7つのcoursesを履修すれば良いことになりました。Cal State Haywardの授業が無駄にならず本当に良かったです。繰り返しになりますが、アメリカの大学では理に会わないと思ったら請願書(petition)を書き提出する勇気が必要です。妥当と判断されれば請願が通ることがよくあります。交渉することも教育の一環と考えているからです。

ELI Intensive Course免除書とStudent Progress Form

筆者はこれを機に、在籍したAcademic Year 1972−1973のFall SemesterとSpring Semesterに、Plaister先生によく相談しに行きました。最高のアドバイザーでした。先生は、ESL 610を担当されるはずでしたが、この学年度は授業を持たれておらず若手助教授が担当しました。長年プログラム開発・運営に携わり確固とした実績を持つPlaister先生の授業を是非とも履修したかったのでとてもとても残念でした。

8月末にFall Semesterがスタートし、ESL 450、ESL 460、ESL 610、ESL 710を履修することになりました。各クラス15名程度で、留学生は筆者を含めて3名で、筆者以外には、中国系のシンガポール人の女性と日本から来た現役の高校教員の男性でした。

Cal State Universityで交流があったChinese American3世と会う

UHは、HonoluluのManoa地区にあります。前方には徒歩20分の距離にWaikikiなどの浜辺、その横にダイヤモンドヘッド、後方には山並みを控え、風光明媚なキャンパス・タウンです。 Waikikiの上空は青空が広がっていても、薄雲で覆われて霧雨が舞い、七色の虹が掛かります。Waikikiの喧騒とはうって変わり、閑静で落ち着いた場所で、勉強するのにはうってつけのところです。学期が始まるや、筆者はSinclair Libraryに入り浸りました

背後の山から眺めたUniversity of Hawaiiとワイキキ

ある日、背後から“Hey! Yuji!”と呼ぶ声が聞こえてきました。振り返ってみると、Cal State HaywardのAsian Cultural Centerに出入りしていたChinese American 3世の学生でした。聞けば、political scienceのM.A. programを始めたとのこと、以来、UHにいる間はLibraryでほぼ毎日顔を合わせ、コーヒー・ブレイクには政治談義に花を咲かせました。筆者は、San Francisco Bay Areaに残した親友たちを思い浮かべては少々ホームシックになっていたので、この出会いは救いになりました。(*10)

5-3)に続く

(*6)ちなみに、筆者が最後に受けたTOEFLテストでは600点以上を超えていました。

(*7)Plaister先生は、How Denny Learned EnglishなどTESL関連の著書、教科書多数を出版していました。TESL分野では大ベテランの教授でした。
(*8)以前にも述べましたが、筆者のアメリカの大学での登録名はNathanael Yuji Suzukiです。

(*9)アカデミック・アドバイザーの手元に、担当する学生の学歴、成績、志願理由、GREなど各種指定テストのスコアがあります。留学生と話しながら英語力もチェックしていると思います。

(*10)筆者はアメリカ留学中に5つの場所を転々としましたが、移るたびに最初の1週間は大変なホームシックに襲われました。Hawaiiでもその後のWashington D.C.でもSan Francisco Bay Areaに帰りたいとの思いが募りホームシックになりました。授業が始まりクラスメートとの交流が増えると次第に消えて行きました。ホームシックを克服する術もアメリカ留学中に身につけたいわばスキルです。



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鈴木佑治
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