虎に翼 第48話
「国民すべてが(君のように)法に明るいわけじゃない」
「国民は何もかも変化を強いられて苦しんでいる」
「まず未来ではなく、今目の前の苦しむ人を救いたいと私は思うが」
神保教授(木場勝己)の言葉に、花江ちゃん(森田望智)の泣き顔が蘇る。またこのドラマの巧いのが、神保教授が頭が固いだけのヴィランじいさんというわけではない、言葉に一理も二理もあるところだ。だからこそ、スンッとならざるを得ない……。
小橋(名村辰)が「大人になった」と表現したが、前回の感想文でも書いたように、いま寅子の働きには家族の生活がかかっている。守るものがあるのだ。かつてのような頭の回転の速さと瞬発力を活かした反論はできない……言ってみれば、昔の「はて?はて?」は、我が子らに高等教育を施すことのできる、自由な空気の猪爪家で育まれた娘から発せられたものであった。
生活のための仕事という意識。それも現在の寅子の、スンッの原因だ。
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昭和22年5月。重荷を背負い、靖国通りでへたりこむ女性……示唆的な人物が配置される演出は裁判官編でも変わらず。
穂高先生(小林薫)との再会で
「で、お子さんは?君の御父上は、君が働くことになんと?」
かつて働く女性が嫌と言うほど浴びたこの手の質問、まあ時代を踏まえるとおかしくはない……それよりもこの場面でちょっと驚いたのは、寅子は穂高先生に直言(岡部たかし)が亡くなったことを報せてなかったんだなと。
穂高先生は直言と寅子の恩師で、直言とはるさん(石田ゆり子)との結婚にもいろいろと手を尽くしてくださって、更には四面楚歌だった共亞事件で直言の弁護を引き受けてくださった方なのだが。終戦直後は余裕がなかったとはいえ寅子は「狭い世界」の法曹の人間なのだから、就活前に穂高先生に一筆書いてもバチは当たるまい。小橋を失礼垂れ流し野郎と毒づいたけれど、寅子も大概だと思う。……とは思うが、寅子にとってあの「なんじゃそりゃ」事件はそれだけショックなできごとだったのだよなと……。
誰もがちょっとずつ正しくない、このドラマの登場人物たちを愛する。
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日本初の婦人代議士たちの集まり。
立花幸恵代議士の髪型と、演じているのが伊勢志摩であることに気を取られて台詞を一瞬聞き逃しそうになるが
「どうして男性は封建的な家父長制にしがみつきたいのかしら?」
「日本の古き良き家族観、美徳が失われると」
「フフフ!古き良きなんて、明治時代から始まったキマリばかりじゃない」
それ!保守的なご意見を耳にして、日本史好きとして「はて?」とよく思うのだ。その古き良きとは、一体どの、何時代のものを指していらっしゃるのかと。長い日本の歴史の中で、固定された家族観なんてあるのかしら、と。
そうかあ、そこに切り込みますかあという気持ちだ。
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立花代議士について訊ねられ、
「この人たちがいれば、世の中は変わるんじゃないかと思えるといいますか」
と答える寅子に、ライアン(沢村一樹)の
「どうしてそんなに他人事なの?君だって彼女たちと同じ、社会を変える場所にいるじゃない」
笑顔で発してはいたが、この言葉は痛烈だった。
第15話の感想 でも書いたが、この作品が視聴者に示しているのは常に当事者意識である。ライアンのこの台詞はそのまま、視聴している私たちに向けられているのだ。
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今回、冒頭では靖国通りで座り込む女性がいたが、昼食を取るベンチの近くには、ハーモニカを吹く傷痍軍人。男女どちらも戦争で深い傷を負った、同じ国民だ。
私は一体、どうしたらいい……と溜息をつく寅子の隣に、あの時の優三さんが現れる。幽霊ではない、大切な思い出の中の夫だから、戦争が終わっても国民服のままでいるのが切ない。
傷痍軍人の前に置かれた空き缶に小銭を入れ、現れた……花岡(岩田剛典)!優三さんの後に出てきたので一瞬、えっ。寅子の幻!?と思ったが、いつもここで食べていたのとは違う、お弁当箱を持っている。
現実の花岡だ……無事だったんだね。よかったけれど、なんでそんなに影が薄い話し方なの。嫌な予感がする。
(つづく)